寄付とか支援とか

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ベンチェにいた12時間の間に

刺繍や縫製をしてくださる方の家を5軒ほど訪ねました。

それぞれ本当に丁寧に歓迎してくださり

結局ココナッツを一人5個飲んだのを覚えています。


それぞれのお宅の印象は

簡素というか必要最低限というか決して余裕のある感じではなく

中には自給自足ですというご家族もいらっしゃり

失礼を承知で言えば大いに手作り感のある建物でした。

でもね、

お邪魔した家は全て

綺麗に整えられていて

清潔で

印象的だったのは

家主の男性が着ていたかぎ裂きのできてしまった白いシャツが

新品のような白さで

ピシッッッッとアイロンがかけられ

美しい直角のかがり縫いが施されていて

もう少し言うと

皆さんお顔立ちが何というかとても品のある知的な雰囲気で

聡明とはこういうことなのだと思いました。

人生の大先輩

わたしが経験していないことを経験した子供たちに

支援をしに来ましたな己は

このひとたちに支援という言葉を使っても良いのか。


支援とか寄付とか

それまで何気なく使っていた言葉に

急に恥ずかしさを感じてしまったのでした。

目線はどこにあったか。

歴史の途中で思いもよらぬ事が起きて

あみだくじの線がちょっとズレたら。

台風や地震が来て

突然全てを失ったら。

今日 誰にでも起こり得るこういうことに

支援や寄付はとても重要。

だけどそれは

起爆剤であって欲しい。

立ち上がるお手伝いができた後は

お互いフェアにいきたいものです。

私が助けてもらう立場だったら

上からでも下からでもなくて

目線が合ったときに一番力が出ると思ったから。

ココナッツのジャングルで

それまで考えたこともなかった

私の価値観がどんでん返った話でした。


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