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小さなトピックは尊い

イラスト、詩、動画、音楽、文章、グッズ製作、様々な創作に手を出してきました。loopという存在はもはや、ほぼ一人っきりの総合エンターテインメントプロジェクトみたいになっています。

何故、私はこんなに様々な形で自己を表現し続けているのか、それは貴方に、周囲の人間に自分の思想・嗜好・人間性・経験を喰らって頂きたいから。それも様々な角度から。この界隈、特定のジャンルに特化していたほうが強い的な意見もありますが、もうこの際そんなことはどうでもいいです。

私の生み出すものには、あの日ショッピングモール前のフリーマーケットで見たポ〇モンによく似た何かの指人形や、銀座で食べた美味しいアイスや、上野で食べたとても作り立てとは思えない冷めたちゃんぽん、何となく入った大学で買ったその大学独自のボールペン、御茶ノ水駅の改札でキレ散らかしていたやけに四角い眼鏡をかけたおじさん、降りる予定の無かった中野駅に後ろの集団に押されて降りてしまいそのままドアが閉まる、といった記憶が込められています。

何が言いたいのかというと、創作に影響するものはなにも人生における大きなトピックだけではないということです。何なら大きなトピックほど実はどうでもいいです。大きなトピックは一旦お家に帰ってもろて。何気ない幸せが一番幸せなのと一緒です。

例えば、大学受験。私は一般入試でしたが、入試本体の経験はホント言い方悪いんですけどクソほどどうでも良いです。疲れるし時間食うし疲れるし時間食うし疲れるし時間食うのでもう二度とやりたくありません。ウインドウショッピングをしていたほうが有意義です(私にとっては)。重要なのは、その時泊まったホテルの部屋に、なんか知らないけれどテレビが二つ付いていたことや、落としたと思って駅前を探し回ったSuicaがコートのポケットに普通に入っていたこと、夕食のカレー南蛮そばが和風だし強めで好みだった記憶です。

上記のような小トピックの集合体が私の創作です。多分、同じ条件で他のかたに同じ行動をして頂いて、あなたの小トピックは何でしたか?と聴くとまた違う答えが返ってくると思うので、これが個性です。これを個性ということにしています。

何かの集団に混じってした経験や残した結果が評価される仕組みなのは百も承知なのですが、あなたは遠征先で何を食べましたか?とか布団やベッドの硬さは如何でしたか?空のグラデーション見ました?みたいなことが私は知りたいし教えたい。でも、いきなりそれを伝えると「何コイツ」って思われるので、捏ねて創作物にしてぶつけています。

形が変わっているので、ほぼ、伝わりません。活動初期の頃はその伝わらなさに胃を痛めて頭を抱えてという感じでしたが、最近は下手に正確に伝わるよりも、汲み取り違いの答えを投げ返して頂いたほうが面白いし学びになるのかもしれないと思っています。というか、汲み取り違いなんてないのかもしれない。

○を投げたけれど△が返ってきた時に、「これは〇なんですけど」と言い返すよりも「△と捉えることも出来るのか」と受け取ったほうが気持ち的にも穏やかですよね。そしてその△に該る出来事を街に探しにいけばいいし。私にとっての△的なトピックって何ぞやという。

メガド〇キとか良いですよね。目的の商品を二つぐらい決めといて、すぐに買わずにグルグル回って、視点をちょっと動かすだけで細々としたものがたくさん目に入ってくるので、洗練よりも雑多が勝る瞬間にたくさん出会うことが出来ます。ホームセンター等もそうですね。よく行きます。

全然文章がまとまりませんが、とりあえず受験生は受験ついでに思い出を作ってきてください。いっそ思い出のついでに受験してきても良いと思いますし、それぐらいリラックスしとけば燃え尽きなくて済むよ。

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