孤独なヴィーガン その2
私の住まいの最寄り駅を降りて、駅ビルにそのまま入ることのできる改札を抜け、駅ビルの中のエスカレーターを使って1階まで降りると、バニラのとてもいい香りがしてくる。
エスカレーターを降りたところに素敵なクレープ屋さんがあるからだ。
様々なフルーツと白い生クリームをおいしそうなクレープで包んだサンプルが、色とりどりに飾られ、お店の周りに漂うとてもいい香りについ心を誘われるのは私だけではないと思う。
お店の向かいには自由に座れるテーブルと椅子が2,3セット置いてあり、そこで幸せそうにクレープをほおばる女子高生などを目にすることも珍しくない。
私もそこを通るたびに食指を動かされるのだけれどヴィーガンである手前、そう安直に立ち寄るわけにはいかない。
そのお店はヴィーガン用のクレープを作っているわけではないので、当然生クリームにはミルク使われているだろうからだ。
そう、私はミルクや牛乳をそう安直に口にしてはいけないのだ。
しかし正直あの甘いバニラの香りをかぎながら平然とやり過ごすのはかなり精神力がいるといっても過言ではない。もう幾度となくあのお店の前を通ってきたとは言え。
ヴィーガンというスタイルをとるということは、そうでない大多数の方々が何のためらいもなく行う飲食物に関する考えや態度をバッサリ捨て去る必要がある。
街に出て目にする外食のお店は、まだまだヴィーガニズムという考えを取り入れているとは言えない。そんなお店の前を通りすぎるにつけ、私は自分には関係のないお店だ、と自分に言い聞かせる。
話は変わるけれど、つい先日私は池袋のサンシャインシティーに用事があって出かけた。水族館が昔からあるのは知っていたが、ペンギンの写真やらが広告として飾られているのを目にした。
そして私は考える。きっと狭いスペースで人々の目にさらされながら、ペンギンたちは楽しくもなんともない一日を過ごすのだろうと。
私はヴィーガンになる前イルカショーの事は全く知らなかったのだが、イルカたちもこのペンギンたちと同じような状況にいるらしい。
イルカショーといえばなんだかトレーナーである人間とのすばらしいふれあいを目にし体験できる素敵なイベントくらいに思っていたが、実はイルカたちにとっては、本来生活すべき海から隔絶され、人間がよろこび、楽しむためだけの訓練を強いられるという過酷な生を生きていると知った。
きっとイルカショーを目にするのは大人だけではなく子どももかなりいるはず。
子どもたちは目の前のイルカの素敵な動きや愛くるしさに魅せられてきっとよろこぶのだろう。
私は、そんな子どもたちに、海洋で生きる本来のイルカの姿と、イルカたちは人間の見世物になるために生まれてきたのではないのだということを丁寧に説明できる大人でいたい。