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8月6日

今日は8月6日。今日がなんの日なのか皆さんは聞かれて答えることができるのでしょうか?
私にとっては生涯忘れることのない大切な1日となっています。

私は広島県広島市で生まれ育ち、実家のマンションは爆心地から約3km離れたところにありました。
小学生時代は毎年のように平和公園へと遠足に行き、時には実際の被爆者の方たちのお話を直接お聞きすることもありました。また毎年8月6日は夏休み中であっても登校日となっていました。
当時の私は遠足中の平和公園で鬼ごっこを友達としていて、「場をわきまえなさい」と先生に叱られたことを今でも覚えています。

高校時代までを広島で過ごし、大学生となって上京してからすぐに私は衝撃を受ける出来事がありました。大学の友人4.5人の何気ない会話の中で「8月に広島にいないのは変な感じ」と私が言った時に、東京出身のある友人が「なにかあるの?」と言われました。その際に「広島で育ってきた人間として8月6日は学校にも行ってたし、特別な日だね」と言ったときに、その友人は「原爆があったのは8月6日だったっけ?」と言われました。
私の中では忘れられない日。いや私にとっては忘れるとかではなくて当たり前の1日を育ってきた地域が違うだけでこんなにも違うのかと驚きました。その場にいた残りの友人たちにも「ちなみに原爆が落ちた時間ってわかる?」と聞いた際に正しく答えられたのは1人だけでした。
覚えていなかった彼らを責めるつもりは全くないが、これが当たり前なのかと愕然としたことは忘れられません。

そして、大学1年生の8月5日。大学生始めての定期試験をクラスメイト全員で終えて、みんなで夜に食事会に行くことになっていました。私はその日の夜は友人の家に泊めてもらうことになっており、食事会のあとに2人で友人宅に向かいました。その夜の帰りも遅いながらに翌日の目覚ましを8時にセットして眠りにつきました。翌朝、隣には友人が1人眠る中私は目覚ましですぐに目が覚めました。寝ている友人を起こさぬよう音量を小さくしてNHKを見ながら8時15分を迎え、黙祷をしました。
人生で始めて隣で他人が眠る中8月6日8時15分を迎えました。そしてこの時、日本中の少なくない人たちがなにも意識せず8月6日8時15分を迎えていることを改めて思い知らされました。それから2年後。私は広島のこと、原爆のことについて知ってほしいと思い、広島旅行を提案して8月6日8時15分に原爆ドームの近くで一緒に黙祷をしました。
原爆について伝えること、2度とこのようなことを起こしてはいけないと私たち広島人は考えているということを旅行を通じて感じてもらえればいいなと考えていました。


今年も8月6日となりました。もちろん自宅のテレビの前で8時15分には1人で黙祷をしました。その時にいろいろなことを考えました。
もちろん戦争はあってはならないこと。もう2度とあのような経験を誰1人としてしてはならないということ。そしてそれを教えていただいた被爆者たちの方々は高齢とともにだんだんといなくなってしまうということ。それを伝えていく使命を広島で育ち、直接聞いた私たちが引き継いでいかなければならないのではないかということ。
巡り巡ったなかでなにか心に引っ掛かるものがあったことは確かでしたが、なにであるのかはその時はよくわかりませんでした。

その直後に松井市長の平和宣言がありました。これは毎年、黙祷直後に広島市長によって行われているものです。私は朝の支度もあるために、平和宣言が始まるなと思いながらテレビを切ろうかと考えていました。しかし最初の二分にとても考えさせられました。

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。

また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。

私たちが広島で育ってきた平和教育では間違いなくノーです。核の抑止力などありえない、平和的解決で世界中から核兵器がなくなることで誰もが核兵器を使うことのできない世の中となって平和となる。
その考え方自体は間違っていないと思います。
しかしながら現代の世界ではこのような考え方になっていないのが現状であり、我が国日本も同様の考え方をとっていると思われても仕方のない姿勢だと私は感じています。
そして私も核兵器が世界からなくなることが理想ではあると思っています。しかしそのようにはならない気がするし、あまりにも理想をばかりをいっているようで現実的ではないのかなと感じることがあります。
これは私が広島から上京して一人暮らしを始めて6年経ったから考え方が変わってしまったのかと考えましたが、松井市長の宣言の中で納得のいくものが出てきました。

ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。

こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっていないでしょうか。

私はこの世界情勢の中で、核兵器をなくなることが理想であり目標ではあるが、現実的ではないと感じているんだと思いました。

本来であればここから解決策や前向きな提言などが考えられればいいのでしょうが、私なんて未熟者に出てくるわけもないと感じてしまいます。
もちろん松井市長の平和宣言の中では松井市長の考える解決策・提言は盛り込まれていますが、私自身として実現可能な真の解決策ではないのではないかと感じています。

ぜひ一度、松井市長の平和宣言をご一読いただいた上で私にコメントにてご意見をいただけると幸いです。


私の中では今回の件については結論が出ないままですが、1つだけ確信していることがあります。
それは今回に限らず、多くの人間が意見を言い合うことがお互いにとって成長させてくれるということです。もちろん、意見を言い合う先でどちらかが相手の意見にしたがうといった1つの意見が正解だと断定するのではなく、お互いの意見を知った上で理解・思考を深めていくことが一人間として成長させてくれるものだと感じています。
時には相手の考え方に賛同し自分の考えを改め、時には自分の今までの意見に対して自信を強める。
出した結論が「正解」や「正しい」ものなかったとしても、深く検討することがそれに近づけてくれるのではないかと感じています。

関係のない自分の経験談から、内容のない自分の感じたことまで長々と書き続けてきました。
私自身、そして読んでくださった皆様のためにも意見を言い合うことが重要だと感じています。この投稿のコメント欄でも自身のSNSでも発信していただきたいと思います。よろしくお願いします。

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