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感情と生きる

たまには考えてること、言葉にしてもいいよね。

このnoteを始めて8ヶ月が経った。8とはなんとも中途半端だが、私は日々ここに自分の大好きなもの、心が動いたものを残している。自分にとって大切だと思った感情の数々を。

そんな私が1ヶ月半の田舎への帰省を一旦終え、新宿の街を見渡して感じた思いを、言葉の綺麗さなんて考えないでメモにぶつけた。

心が動いた瞬間が生きてる理由だと思う。人を思ったり、世界を感じたり。
理由が分からなくてもたしかに感じるものがあるなら心が動いたことに変わりはないし、自分だけはその感情を大切にしよう。理由は分からないけど私はこういう人間の作った明かりが好き。ギターの弦の掠れる音も好き。夏の暑さも夏の終わりの涼しさも好き。
生きるとはよく分からないが心の動く瞬間を求めるから生きる。何に対しても感情が生まれないならこの人生には意味がない。自分はちっぽけでもよくて、自分がいなくてもこの世界は回ると分かっていてもよくて、心動いた自分がここにいることが私の人生がある意味だということ。
無意識に敷かれていたレールの終わりが見えてきてしまって、レールがなくても自分が自分として動き続けなければいけないのなら、ふとそういうことを考えます。自由とは責任であるとさくらいしょうくんは教えてくれた。
言葉は難しい、感情は言葉にした瞬間固定の形を持ってしまう。形の定まらない感情こそそのままを言葉にすることは不可能でも、少しでも似たような思いがあったことを思い出すために言葉に変換する。


と、そういうことです。(笑)

感情を言葉にするのを躊躇することもある。
だけど、いつかこんなふうに心動いた瞬間があったと思い出すことができれば、何かを感じられないときもその瞬間を追い求められるから。
どんな小さな感情も全部、私の生きる理由で、私は私の感情のために生きている。

私にだってそういうことを考える夜があります。

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