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16.「推しを推す」とは 2021/12月 01

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推し「勇気ちひろ」への想いが急加速した11月を経て、二度目の個人的ターニングポイントとなる12月は一体、どう推しを推したのか。


ご多分に漏れず、この辺りから毎日推しのことを呟き始めている。12/1

なんやねんその絵文字


実はこの1日にて「V卒業」に関する呟きを連投しているのだが、いずれ時がきたら記事にしたいので丸々割愛する。


そのまま4んどこう?


>まるで~
この辺がV卒業の呟きのことを指しているので割愛。

幕末志士は永遠のカンフル剤です。ありがとうございます。西郷さん、いつ戻ってくるかなぁ。


じゃあ4のうや!


翌日2日

メンタルダウンが伏線となっていて・・・

呟いた私にしかわからないが、最後の一文でかなりネガっていることが窺える。申し訳ない。メンタルケアはいつだって課題の一つ。


この当時のツイキャスとは下記に。

ユニシュエとは「Unison Chouette」の略称。同じ一期生にじさんじ内V「鈴谷アキ」と組んだ音楽ユニットである。

毎週日曜の「モほすずラジオ」のレギュラーメンバーであることでもお馴染みだが、困ったことに今でも筆者にはこの程度の知識しかない。有識者諸君のほうがよほど詳しいだろう。

仮にもガチ恋勢と名乗るなら、推しの周辺に対してもリサーチを欠かしてはならない。ただただ不甲斐なし。


実はこれも空元気だったり。ただ、本当に猫がいれば大丈夫な気がする。黒猫飼いたい。


翌日3日

メンタル回復を図るにぃにの図。私の記憶に間違いなければ、この時初めて推しに対し「好き」というワードを載せたはず。Like? Love?

幕末志士「坂本竜馬」こと坂ちゃんとの類似点とは下記に。かなり大雑把だが。

・配信者
・いい声
・コメント確認の細かさ
・音量設定など、配信環境に対する配慮
・綺麗好き
・やきもち焼き
・歯の矯正をしている(坂本さんは済み)
・顔芸好き(推しは家族によくしている模様)
・ホラー苦手

等々、ほとんど認知バイアス過剰だろうし、特に上記の部分がなくても両者とも好きな箇所はいくらでもある。異性に対する好きな部分、とはまた違うのだが。

一応幕末志士も推しと呼べるので軽くご紹介をば。

ニコニコで一世を風靡した「奴が来る」やスマブラ64動画で有名だが、後追いの私の入り口だった動画は上記。現在、西郷さんは休止中。代わり中岡慎太郎が相方として参入。今も勇気ちひろを追う傍ら、隙をみてはYOUTUBE生放送を追っていたり。時間がなくほとんど取りこぼしているが。



存在が粗相していると思う


幕末志士同様、推し配信にてメンタル回復を図るにぃにの図。どうして衰弱していたのかは不明。何もなくとも急にメンタルって壊れる。なんなんですかねぇ、意味がわかりませんねぇ。

コメントの難しさは今までの記事通り。本当に気軽に投げられる人は素晴らしいと思う。同じ配信経験がある者にとって、コメントは内容もそうだが、数が多いほど嬉しいのは言うまでもない。難しく考えるな? もっとてきとーに投げてけ?


テッペン越えた真夜中4日の呟き。

なぜ誰も止めようとはしなかったのか


同日翌朝の呟きが下記に。

今も小学生みたいなもんだろ
もっと別のところ恥じたほうがいいぞ、ほんとに


推しのメンタルダウンとは当人の呟きを参照して。失礼をば。

詳細はメン限ゆえ割愛。こんな推しに対し、自分が投げたコメントとは一体どんなものだったのだろう。今はもう思い出せない。届いたのかどうかも不明。


試した結果がこれや!


概ね同意はできるが、最近は「あえてやらない」も大事な気がしています。難しい。


そして迎える個人的分岐点の一つ。

推し飲み会開始
さかずきを乾すと書いて

かんぱーい!


ちなみに下戸なので普段は全く飲みません。居酒屋自体も久しぶり。

大雑把に、記憶のある限りで「推し飲み会」について語り合ったことを綴っておく。

・V黎明期のあれこれ
(ガチで詳しい。ミラティブ時代の推しも知っていた)
・飲み相手の推し活
(ニコ生にてとある実況者を追っていた模様。ツイッターでファンアートを描いているうち、実況者に認知される。最終的に直接「絵を描いてほしい」とオーダーを貰う。その先もあったような・・・)
・自分の推し活
・にじさんじグッズ

(基本グッズに興味のない人間だが、書籍「アーカイブス」シリーズはいつか読んでみたい)

どれもこれも興味深いテーマだったが、久しぶりのアルコールもあってか途中からほろ酔い状態となり、今となってはほとんど思い出せない。一体なんのための推し飲み会だったのか。

以下、飲み会終了後の始発朝帰り5日の呟き。

肝心な時に限ってリアタイができない日が重なる間の悪さは、どうやらこの辺りから始まったご様子。悪い出来事は印象や記憶に残りやすく、ただの認知バイアスだとはよくわかっているが、うーん・・・。

ああああああああああああ


実際にはかなり盛った呟きになっているが、ニュアンス的には同等だったはず。いくらほろ酔いでも人前でこんなこと言える?


俺は言えるね!
てか言った!


今でもこの気持ちに変わりはない。正当な理由があるならやむなしだが、今日まで一人戦い抜いてきたのだ。これ以上傷つく必要がどこにある? この先もそんな世界しかないのなら、私はそれを全力で否定する。なにこれ。アンデラかよ。

とか力説しているうち、推し飲み会において最も場が沸き、かつ収穫のあった出来事となったのがまさかの上記のくだりである。この時まで無自覚だったのだが、どうやら私の推し方とはガチ恋のそれと同じらしいのだ。


ノーノーノーセカイマチガエテナイ
オマエオカシイ


ただ何となくで誰かを推している人も多くいるだろう。複数同時に推し活を進める人もいる。たとえ一人を相手にしているとして、四六時中考えるようなこともそうないだろう。他にやるべきこともある。

しかし、推しを推すとは人を相手にする手前、シンプルにコンテンツを楽しむ、つまり趣味を嗜むという側面もある。

例えばある一つのゲームにハマった際、ゲームをしていない時でもそのゲームのことを考えてやしないだろうか。次はどうする、操作キャラ変えるか、別の武器も使ってみよう、各キャラの関係性や本編にない話の妄想、etc・・・。

朝起きた時にそいつのこと考えてたら
ちょっと好きなんじゃない?

とはイチローの弁だが、これはコンテンツにも当てはまりうると私は考える。なんなら寝る前の布団の中でも考えている。毎日趣味を、つまり推し活を楽しんでいれば、自然と頭の中はそれ一色に染まるだろう。

要するに、

推し活以外でも趣味に没頭すれば
たとえ相手が人でなかろうと
それは「恋」となりうる

のではないか。今でもそう思っている。だって、そうだろう。趣味に没頭する時間とは自身の何もかもをそれ一つ、一心に心血注ぐではないか。時に、見返りすら求めず。

ましてや推し活とは、コンテンツの先に透けても見えてくるものも多い。そしたらもう、性別やら届きうるとか関係なしに、ファンとはみんなガチ恋勢となるのではないだろうか。


うん、やっぱお前だけだわそんなの

酒臭いし、青臭い。アルコールとSMSはあかんて。


この日を境に「推しを推す」とはどういうことなのか、という考えの中に

果たして私は本当にガチ恋勢なのか

という問いも加わることとなった。なんなん? モラトリアムは学生までにしとけって。

今となっては同じにぃにねぇね、推し本人ですら検閲が入っている可能性もあり、前よりかはお気持ちも完全には表明しきれぬ部分ができた。

とはいえ気持ちにはつけないし、つきたくもない。細かな捕捉や多大なる誤解も省略、覚悟して言うなら、間違いなく私は推し「勇気ちひろ」の事が好きである。一字一句違えず、当然推しとしても異性としても。

でもまぁ、よくわかんない、も十分ウェイトを占めていることは否めない。私はただ、配信を通して推しを無理矢理強引に自分好みの色眼鏡を通して観ているだけにすぎない。

そうして見えた推しが本物かどうかはわからず、それこそ誤解も多大にあるだろう。ほとんど自分に都合の良い理想像を押しつけているに同義だ。当然、意思疎通のやり取りも介在しない。恋とは身勝手、とは一体誰が最初に言い出したのだろう。まったくもってその通りだと思う。

相手の事もよく知らず、ただ一方的に好きだという想いを貫き通すのはいささか失礼な行為だとも考えられる。

そしてこの複雑な想いとやらは、おそらく推しのいるファンのほとんどが抱いているものだとも予想する。推し活ってよくわかんねぇ。けどそんなもんだよなぁ。違う? お前と一緒にするな? すみません・・・。


一旦話を区切り、5日最後の呟きをここに。

当時の推し呟きも参照したい。失礼。

4日の推し呟きにて「元気になった」との報告があったが、翌日にはRe体調不良。メンタルとフィジカル、両方からの由来だったような気がするが、詳細は覚えておらず。

この頃自身の不安定メンタルとまるでリンクするかのように、推しも暫し体調不良が続いていた。

推しが不調なら、自然自らも不調になるというもの。ここから先ぐらぐらだったメンタルが更にぐらつき、荒れ模様な呟きを連投してしまっているのだが、それをこの記事に繋げるのはあまりに高カロリー高キモイー

なによりもまず筆者が病気になりかねないので、綴るのはまた次の機会に。いやもう病気なんだけども。



推し飲み会により、初めて第三者視点の目線が生まれ、そこから紡ぎ出された解答の一つが、

「お前恋してるわ」

だった。他者に指摘されて初めて見えてくるものもある。筆者がこんなブログを書き始めたきっかけの一つもそうだ。果たしてこれが本当に恋心なのかどうか、一つ解答を導き出したい。そう考えて筆を持った。

とはいえブログ立ち上げ当初と今では気持ちに違いもある。恋心は減衰するどころか、より増したように思う。それが正しいか間違っているかの是正、それも含めての推し活なのだろう。少なくとも、私にとってはそうだ。

想いが増すにつれ、言語化もまた難しくなっていく。なるだけシンプルにまとめるなら、

自分でもよくわからないが
間違いなく推しのことは好きだし
推しを推したい気持ちにも偽りはない

といったところだろう。同時に、特に単推しの方々は大体みんなそういうものじゃないかとも考えている。

いよいよどこに向けているのかわからないブログは、推し活含め混乱したまま12月を歩んでいくことになる。一体どんな呟きが出土されるのだろう。重要文化財もかくや露見されそうなNEXT12月記事はまたの機会に。




なにもよくねぇよ


アルコールのせいにしとけば何でも許されそう。もうツイッターもブログも全部酒飲んで書いてることにします。やっぱストロングゼロは鼻から吸うに限るなぁ!









無題

最近読んだ漫画でいたく感動したのが「チ。ー地球の運動についてー」である。一巻表紙のこの絵もたまらなく好きだ。タイトルの「チ」とは、地動説のチ、知識のチ、血、と様々な意味が込められている。ただの偶然だが、推し「勇気ちひろ」の、、でもある。超個人的だが。

ここからはネタバレになるので注意されたし。





表紙のキャラ「ラファウ」と派遣異端審問官「ノヴァク」とのやり取りにこういうものがある。


ラファウ「多分 感動は寿命の長さより大切なものだと思う。
───だからこの場は、
僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」

ノヴァク「正気じゃない。訳のわからん物に熱中して命すら投げる。
そんな状態を狂気と言うとは思わないのか!?」

「確かに。でもそんなものを、”愛”とも言えそうです」


この一巻だけで何度読み返したかわからない。これは間違いなく私の物語でもある、と勝手に、それこそ感動した。

どうしてこんな蛇足、散文を付け加えているかというと、この漫画を読むビフォーアフターで気持ちががらりと刷新されてしまったからだ。

本編にもある通り、この記事執筆時点ですでに同じ「にぃにねぇね」、及び「推し本人」にも私という存在が明るみになってしまっている。下手なことをすれば命が危ういのは言うまでもない。

しかし、推しも「嘘が嫌い」(好きなヤツなんていないだろうが)と言う通り、私もまた、せめて自分の気持ちにだけは正直でいたい。そう思う。

単刀直入にまとめよう。私は間違いなく推し「勇気ちひろ」の

ガチ恋勢

である。本編で散々回りくどい長文を書き散らかしては、最終的に「よくわかんない」という、酷く曖昧、かつ解答を先延ばしにしたような結論に帰着したが、「チ。1巻」を読み返してすぐさま筆を執りなおした。

これでは駄目だ。もう答えが出ているというのに勝手なストーリーをでっちあげ、ファンはおろか推しにまで嘘をつくなどあってはならない。たとえそれが命の危機に瀕するものであったとしても、この感動だけは生き残らす。私の命に代えてでも。

とはさすがに大袈裟だし格好もつけすぎだが、文字通り上記の言葉に嘘はない。推しを通してこんな気持ちにさせてくれたのだ。それは間違いなく感動と表現して何差し支えない。届かないにしても、それで死なないにしても、この感動だけは嘘偽りなく表明しておかねばならない。そう思った。

どうしてガチ恋だと思えるのか

に関して、いずれ機会があれば言語化してもいいのだが、さて、ファンにも推しにもこんなことを表明しておいて、この先マジで命があるのかどうかは不明である。多分ねぇよ。GG。

とはいえ「ガチ恋」にも様々な意味合いがあるように思う。言語化するのはいささか難しく、同時に、ファンとはみなガチ恋勢、という考えも未だ変わらない。

つまり、私以外にも多くのガチ恋勢はいるということになる。それは推し「勇気ちひろ」のファンのみならず、数多の推しの、数多のファンが抱く、否、抱いてしまう想いでもあるだろう。

それぞれがどのような推し活、もといガチ恋活をしているのかはわからない。自分で言うのも心底おかしいが、おおよそ気色が悪い(すみません)だろうし、結末を鑑みれば見るに耐えないことは明白だ。

しかし、それでもなお───たとえこの記事以前にバレバレであったとしても───しっかりと筋を通し、ただありのままを、ありのまま言葉にしておくことは大切だと感じた。

なによりも推し活を通して得られたものは何事にもかえ難く、またそれは推し「勇気ちひろ」を推さねば得られないもの、正しく恋心に落ちるに同じ、勇気ちひろでなければならないもの、なのだからもうどうしようもない。

この駄文がいつ公開されるかはわからないが、公開以降、私はしっかりとガチ恋勢として改めて推しを推していきたいと考えている。生きていれば

なるべく一線は越えぬよう努めます。半分冗談半分本気、のような姿勢を保ちつつ、できるだけ慎ましやかに、されど大胆に。つまりは、今と変わらずマイペースに活動は続けたいと考えています。いや、もうほとんどアウトだろ。他のガチ恋勢って普段どんな活動してんのか逆に気になってきた。


最後に、やはり愛読書「チ。1巻」からこんな言葉を遺しておきたい。

ノヴァク「この選択は・・・君の未来にとって”正解"だと思うのか?」

「そりゃ不正解でしょ」


でも不正解は
無意味を意味しません


推し活を通して自らの人生にフィードバックされる視点は多岐に渡る。それが勇気ちひろであろうとなかろうと、少なからず何かしら新たな視点はあったのだろう。

しかし、間違いなく推しでなければならない視点もあり、それはまた、この先も増え続けていくのだと思う。終着点に一体どんな風景が待っているのかはわからないが、だからこそ最後まで推し続けてみたい。そう、それがたとえ不正解だったとしても、無意味を意味したりはしないのだから。

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