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ピーターラビット・ファン必見!V&A美術館のビアトリクス・ポター回顧展

今年はピーターラビットの絵本が初出版されてから120年。そこでピーター生誕120周年と銘打って、日本でも各種イベントが企画されていますよね♪

そこで私も、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(通称V&A)で開催中の「Beatrix Potter: Drawn to Nature」へ行ってきました!

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最寄り地下鉄駅サウスケンジントンから、徒歩数分で到着。大充実の常設展だけならば、入場無料なのも嬉しいですね♪

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一方こちらは特別展につき大人14ポンド、12歳~25歳は9ポンド(11歳以下は無料)です。今も世界中で愛され続けるピーターラビットの絵本シリーズを世に送り出した作者、ビアトリクス・ポターの生涯を振り返ります。

Drawn to Natureという副題には、彼女が「自然に惹かれていった」ことと「自然に捧げて描いた」ことが込められているようです。

彼女の絵や昔の写真などは小さいものが多いので、一見すると小ぢんまりした展示に見えますが、実は膨大な情報量。

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展示内容はV&A所蔵品とナショナルトラスト所蔵品がメイン、それと個人など別のところから借りたもので、総数200点以上も!

とくにナショナルトラストからの品は、彼女の家ヒルトップで今も一般公開されている家具や雑貨の一部や、同じく湖水地方にあるビアトリクス・ポター・ギャラリー収蔵の絵画など多数に及びます。

まずは彼女の生い立ちから。

サウスケンジントンに住む裕福な中流家庭で育ったビアトリクス。両親や祖父母も芸術に関心が高く、良家の子女として学校ではなく家庭教師に教育されて成長しました。

当時の生活様式をうかがえる品々も、いろいろ展示。

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これは祖母が作ったキルト。ビアトリクスの両親が結婚したときの贈り物でした。母親も水彩画が趣味だったそうで、彼女愛用のパレットをビアトリクスは生涯たいせつな宝物にしました。

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こちらの立派なタンスは、なんと日本製!1800年~1850年にイシカワ・ニヘイという人が作った寄せ木細工である、と解説されていました。

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また父ルパートは、当時の最先端アート・テクノロジーだった写真も趣味。そのためビアトリクスは1866年生まれにしては珍しいほど多くの写真が残っており、彼女の幼少時代がよく分かります。

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父親は芸術に造詣が深いだけでなく、アーティストの友達も多数いました。とりわけ仲の良かったジョン・エヴェレット・ミレーの素描なども所有。

上のデッサン、完成作品「マリアナ」はテート美術館にあります。

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このミレーから少女ビアトリクスは「絵が上手い人は大勢いるけれど、君は観察眼も持ち合わせているよ」と褒められ、とても嬉しかったと回顧しています。

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富裕な中流家庭らしく、夏は毎年スコットランドや湖水地方で3か月ほどの長期休暇を過ごしたビアトリクス一家。そこで彼女はロンドンにはない自然の魅力に惹かれていきます。

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10歳のころ描いた風景画の中には、草むらで虫取り網を持って跳ねるウサギが!絵が上手いだけでなく豊かな空想力があったからこそ、後のピーター・ラビットたちを生み出したんですね。

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観察力と知的興味も、子供とは思えないレベル。弟バートラムと熱心に蒐集・観察した石や貝殻や昆虫などのコレクションは、この専用チェストに保管しました。

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昆虫標本や押し花はもちろん、ペットが死んだ場合は茹でて骨格標本を作ることも躊躇わなかった姉弟。このウサギの毛皮は、飼っていたベンジャミン・バウンサーのものと推測されています。

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ビアトリクスは顕微鏡で観察して蝶の羽根などの詳細な絵も沢山描いていたので、その疑似体験ができるテーブルもあります。

やがて弟は寄宿学校に入学。家に残ったビアトリクスは次第に絵画への道を志し美術学校に通ったものの、そこでの絵画レッスンには違和感を覚えるように。

学会に発表できるほどキノコ研究に没頭したり(でも当時は女性なので会員になれなかった時代!)、やがて彼女は独自の方向性を模索し始めます。

そして常に一貫していたのは、自然や動物への尽きない関心と愛情だったのです。

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やがてビアトリクスは弟の提案により、商業的なイラスト作家としてデビュー。彼女の絵が初めて印刷されたのは、これらのグリーティングカードでした♪

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この赤いハンカチは、ビアトリクスが使っていたもの。それだけでなく・・・絵本の中でピーターが持っているハンカチなんです!

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柔らかいパステル色調で描かれているため実物のビビッドな赤じゃないけれど、図柄が同じなのが分かりますよね?

ビアトリクスは写実的で細かい描写が得意だっただけあり、登場人物の衣類・小物・背景にいたるまで細かく観察して描きました。こちら↓もその良い例です。

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サウスケンジントンに住んでいたビアトリクスは、歩いてすぐ近くにあるV&A美術館(当時の名称はサウスケンジントン美術館)にもよく通っていたそうです。

そこで見つけたのが、この18世紀の上着とチョッキ。

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この美しい刺繍ディテールに惚れ込んで、「グロスターの仕立て屋」ではこんな絵に登場させています。

見事な刺繍を詳細にスケッチするため、美術館の人に頼んでテーブルの上に広げてもらったビアトリクス。

1903年3月、彼女の絵本を出版した会社フレデリック・ウォーン社の一員ノーマン・ウォーンに「18世紀の素晴らしい服を見つけたの!」と手紙にも書いたビアトリクス。

「グロスターの仕立て屋」は彼女自身が最もお気に入りの1冊だそうで、のちに婚約者となるノーマンとの幸せな交際期間と重なる時期に書いた本だったのも大きいように思います。

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この小さな封筒型(横10㎝くらい)は、ウォーン家の少女ルイに贈ったパノラマ型の絵本「ミス・モペットのおはなし」。ノーマンおよびウォーン家の人々と親交を深めていたことが分かるエピソードですね。

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こちらは実際に出版されたパノラマ版「こわいわるいウサギのおはなし」。

小さい子供にはページをめくる本より読みやすいのでは?と考えたビアトリクスの名案でしたが、店頭に並べにくいという書店側の反応により、残念ながら継続しませんでした。

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そしてノーマン・ウォーンからは、彼女が趣味としていたドールズハウス用の小物をプレゼントされています。すごく小さいのに細部が凝っていて素敵!

しかしノーマンは婚約後まもなく、白血病で急逝してしまうのです。

悲しみに暮れたビアトリクスは、やがて湖水地方に買った農家での生活に癒しを見出します。両親と暮らすロンドンと湖水地方をひんぱんに往復するようになり、湖水地方の自然や伝統的な農法にも関心を深めていきました。

その様子はレネ・ゼルウィガーとユワン・マクレガー主演の伝記映画「ミス・ポター」で、切ないほどに描かれていました。ご覧になった方も多いことでしょう。

そんな彼女に訪れた大きな転機は、人生後半ともいえる47歳のとき。地元の弁護士ウィリアム・ヒーリスと結婚したのを機に、完全にロンドンを離れて湖水地方に移住。

以後、実生活ではヒーリス夫人と呼ばれることを好みました。

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明晰なビアトリクスは著作権ビジネスにも熱心で、さまざまなキャラクター商品を販売。そして絵本からの印税やこれら関連商品から得た収入で、さらに土地や農場を買い取っていきます。

また農場経営にも熱心で、雇った人たちと一緒にみずから畑や放牧地へ!

とりわけハードウィック種という地元の羊品種の保存に情熱をそそぎ、品評会で優勝する羊を育てたりしています。

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展示品のなかにはビアトリクスが農場で履いていた革靴と、彼女の杖も。

77歳で生涯を終えるまで、湖水地方での暮らしを心から愛したビアトリクス。産業革命後の乱開発で美しい自然が失われることを恐れ、景観保護運動ナショナル・トラストに共感していきました。

そんな彼女は遺言によって広大な土地と農場、作品群の殆どは夫ウィリアムの死後、ナショナルトラストとV&A美術館に寄贈。

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私たちが今も湖水地方の自然美を愛でられるのは、この偉大な女性によると言って過言じゃない・・・と知れば知るほど尊敬しちゃいますね。

当初は今年(2022年)9月までの開催予定でしたが、好評を博して2023年1月8日までの開催期間延長が決まりました。詳細はこちら。↓

可愛らしいピーターラビットと仲間たちのファンはもちろん、自然保護やナショナルトラスト運動に関心のある方にもお勧めです!


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