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【短編小説】僕にはカレーがあるから|4|7つの呪縛

4皿目*7つの呪縛

タベチャダメタベチャダメ
タベチャダメタベチャダメ


僕は17歳、高校2年生。
見た目は細め、背は余り高くない。顔はどうだろう?カッコいいとか言われたことはないな。美容院に行くと、母は「うわぁイケメンー」ってわざとらしい程に僕を持ち上げるけど、姉はただ「あら、のぞむスッキリしたねっ」だけだから、まぁごく普通の高校男子なんだろう。正直自分じゃ分からない。

見た目は普通でも、僕は”普通の人”とは違う一面がある。
食物アレルギー体質で生まれた。未だに本当の卵の味を知らない。

【“好き嫌い”で食べないこと=偏食】

【好き嫌いに関係なく食べることができないこと。特定の食品によって引き起こされるアレルギー反応のこと=食物アレルギー】

僕は後者。
アナフィラキシーショックを起こしたこともあるから、やや重度患者になるらしい。何度も救急車に乗ったし入院したこともある。

小1に上がるまでは、7品目の食物アレルギーを持っていた。当時は食べないように訓練され自分の意思で気をつけた訳じゃなく、母に言われるがままに危険なものは食べないように生活していた感じだ。当時のことは余り詳しく覚えていない。

日常生活で完全除去し、1年に1回負荷テストという”アレルギーが確定または疑われる食品を単回または複数回に分けて摂取し症状が出現するかどうかを確認する検査”を受け少しずつ除去解除の品目が増えた。
今は卵、大豆、ピーナッツの3品目だけに反応する。ピーナッツは重度だからこの先も一生食べることないだろう。

僕はピーナッツの味を知らない。触ったことも見たこともない。一時は間違って食べたら死んでしまうと言われていた。

❶卵 
全卵、卵黄、卵白・・・
❷加熱卵(オボムコイドという)
❸小麦粉
❹大豆
味噌、醤油、豆腐、豆乳、納豆、枝豆・・・
❺ピーナッツ
❻甲殻類
エビ、カニ
❼魚卵
たらこ、いくら、とびっこ・・・

ずっとこの7つに苦しんできた。
僕にとっては7つの呪縛だ。

タベチャダメ サワッチャダメ
タベチャダメ サワッチャダメ
母が1日に何回も僕にはいう呪文。

生後4ヶ月ごろ、耳から汁が出て慌てて小児科を受診したと母に聞いている。

「お母さん、食物アレルギーの可能性があるから離乳食は慎重に、なるべく伸ばして伸ばして始めるようにしてください。ほら、首、手首足首からも汁がでているね」

「先生、治りますよね?」

「今は、治るかの話よりも、離乳食を慎重に、特に卵や牛乳は本当に少ない量から始めましょう。食物アレルギーの可能性高いですよ」

生後7ヶ月、卵や牛乳は医師のアドバイス通り慎重に進めていたは母は里帰りした際に『茹でうどん』を僕に食べさせた。食べた瞬間に僕の顔があっという間に赤く腫れ上がり、呼吸も浅くなりグッタリし、救急車を呼び救急センターの小児科に運ばれたと聞いた。

「お母さん、お子さんは死ぬところでしたよ。離乳食、いったいどんな与え方しているんですか。今日血液検査しますから結果を1週間後に聞きにきてください。それを持って主治医の指導を受けるように」

卵、牛乳には慎重になっでいた母だが、まさか小麦に反応するとは思ってなかったのだろう。最初の医師の話の中に小麦がなかったから、与えてしまったと後に母が言っていた。

小麦にアナフィラキシーショックを起こしたこの日から僕の『食物アレルギー人生』が始まった。

僕はいわゆる”食育”で育たなかった…人間だ。

きっと母は大変だったと思うが、幼い僕に大変だった記憶はない。食べると痒くなるとか苦しくなるとか、突然大声で『食べちゃダメ!』って言われたことは覚えているが、一つ一つのことは覚えていない。友達と一緒にお菓子を食べた記憶も少ないしいつも自分だけのお菓子持参しそれを一人で食べていた。周りのみんなはお菓子交換を楽しそうにしていたけど、僕はいつも1人だったなぁと、そんなことは妙に覚えている。

母が言うには、小麦に反応が出てから大豆、小麦を原料とする醤油も食べられず、味噌もまた然りで、料理の味付けが塩のみで苦労した話は何度も聞いた。

それ以外にも家族用に卵を焼いたフライパンは僕には使えない。洗っても成分が残留してしまうから鍋、フライパン、包丁…僕用に全部家族とは別にしていた。

加えて僕は可哀想な人らしい。
『食べられなくて可哀想』
『ケーキを食べられないなんて可哀想。あんなに美味しいのに可哀想』
僕の生活は常に『可哀想』がつきまとう。

僕は、誰かが”食べられなくて可哀想”というケーキを食べたことがないし、プリンもシュークリームの味も知らない。卵焼きもゆで卵も小学校に入学するまで見たことがなかった。体質の特徴だと思うが、食べれば痒くなり時に発作を引き起こす食べ物を本能的に食べたいとも思わないし食べても美味しいと感じることはない。だから可哀想と言われても何の感情も湧かないのが本音だ。

今の僕のことを話そう。
家族以外と食の体験が余りにも少ないまま高校生になってしまったが、今は卵、大豆、ピーナッツに痒みなどのアレルギー反応が出るが、高校生になって初めての血液テストで卵と大豆はアレルギー数値が激的に下がり2つは陰性になった。本当なら『やったー!食物アレルギー減ったぞ、食べられるぞー』って喜ぶ所なのかもしれないが、今更食べたい気持ちにもならないし、やはり美味しいと感じる舌が僕にはないらしい。だから陰性にはなったが生活はあまり変わらない。

周りはこんな僕をまだ可哀想と思うだろうか。

そんな僕にも、食事が楽しいって感じた体験が数回ある。通っていた幼稚園は、園長先生が畑を沢山持っていて、野菜の収穫が年に数回かあった。大根、じゃがいも、人参、さつまいも、ブロッコリー。園児は泥んこになりながら、土から野菜を引っ張り出す収穫は楽しくて夢中になった。
みんなで大根を引っ張って尻餅ついてゲラゲラ笑いあった。そんなシーンの絵本があったような気がする。確か大根じゃなくてカブだったかな。

じゃがいもが穫れる時期は、カレーパーティーが開催される。先生とお母さん達、カレー係に選ばれた園児がお手伝いし、採れたて野菜を使って大きな鍋でカレー作る。

1回だけ、お手伝い係に選ばれた。エプロン、三角巾、マスクをつけて、採れたてのじゃがいもを洗い皮剥き器で皮をむくのが仕事。自分が食べ物の近くでお手伝いしたり盛り付けたり、子供ながらに僕はこんなことをやっていいのかな?と不安だった。

家族以外の大勢で、一緒のご飯を食べたのは幼稚園のカレーパーティーが初めてかもしれない。一緒に作ったカレーはとても美味しくて、初めて皆んなと同じ鍋からカレーをよそって、またおかわりして本当に楽しかった。子供ながらにこのカレーパーティーがずっと続きますようにって願い、クラスの友達と笑いながら一緒にカレーを食べた。
今でも忘れられない食事の思い出だ。

あれから10年以上の時がたった。僕は7つの呪縛と呪文の中で生きてきた。少しずつ改善されてはきたが、完食できる状態までにはなっていない。大豆10gとか全卵1/8とか許容出来る量を外食で計るには難しすぎる。こんな食べ方しか出来ないから、中学の時も友達と出かけたことはほんの数回。ファストフードに誘われたがポテトしか食べらず、そのうち何となく誘われなくなった。寂しい気持ちよりむしろホッとしたことを覚えている。

中学を卒業するころは、諦めとは違う別の感情が僕の心を占めるようになっていた。人に食物アレルギーの説明をするのは難しいし、何となく同じ釜のメシを一緒に出来ない友達との距離感、いつも僕に合わせようと無理している友達の姿を見た時に『あぁ、無理だ。俺って空気読めない奴になってるんだ。みんな親に言われて僕に気を使ってくれているんだ。嫌だろうな』そんな風に感じていた。だからそれ以降は家族以外の人と食事をしなくなった。

サミシクナンカナイヨ
イツダッテボクワヒトリ

* * *

ー2年後。


「お前ら何ぼーっとしてんだよ!帰るぞー」友達の誰かが叫んだ。

「今日どーすっか。渋谷?下北?」中谷はいつもこの2択しかない。

「俺、つけ麺食べて帰りたいっ」ゴウタが言った。

「オレもつけ麺ーーっ、のぞむは?」

「俺も!やっぱ、つけ麺っしょー!ってお前ら勝手に食べるもん決めるなよ。俺、食物アレルギーなんだから何が食べたいか先に聞けよ!」

2年前まで外食すら出来なかった僕に、ラーメンを一緒に食べに行ける友達が出来るなんて、大袈裟だが生きていて良かったと思う。”同じの釜の飯を食う”ってこういうことなのかと再び思い出させてくれたのは今の高校で出会った友達のおかげだ。幼稚園のカレーパーティーから10年以上も経った今、こんな気持ちにしてくれた友達の存在。高校受験に不合格し、不貞腐れながら今の高校に進学したことを運命とすら感じてしまう。

いつも孤独で家族としか食事が出来なかった僕の世界、誰かと一緒にご飯を食べる体験が出来た幼稚園のカレーから今ラーメンの世界に広がって幸せを感じている。この2年は親の目から段々離れ一人で行動出来るように意識して、味玉抜きのラーメンメニューの注文を練習したり、お店の人に材料を聞いてからメニューを決めたり、自分なりに努力もしてきた。母は一人で外食を試みる僕を心配したが、僕は変わりたかった。どこかであのカレーパーティーの体験を懐かしみ、あの幸福感に飢えていたのかもしれない。誰かとまた食べたいっていう気持ちを。

* * *

「じゃ今日は、のぞむが決めていーぞ」
中谷が言った。

「なんだよ、急に優しいから調子狂うだろ。今日は辛いつけ麺の気分だから下北だな!」
下北派の中谷は凄く嬉しそうだ。

校門を出て変わる変わる誰かが喋りまくり高校男子は騒がしい。やっと駅が見えてきた。すると突然ゴウタが言った。

「のぞむー、俺さ何か急にカレーが食いたくなっちゃった。今日は5人でカレーにしてくれー、マジたのむー」

その時、カレーと聞いて僕がどれだけ驚いたか。咄嗟に誰かが反対する前に言わなきゃと即答した。

「もちろんだよ!つけ麺はまたにして今日はカレーにしよっ。渋谷で5人、カレーパーティーだ〜♪」

みんなが一斉に笑った。
「なんだよ、カレーパーティー♪って。お前、女子か!」

僕も笑い返し、照れる気持ちに気づかれないように誰よりも早く駅まで走った。
「先に行っちゃうよー」

僕を追いかけるように、走るローファーの靴音がいくつも聞こえてきた。

ドンドンタベナミンナトタベナ
ドンドンタベナナカヨクタベナ

これからもっともっと僕の食の世界は広がっていくだろう。もう呪縛という言葉とはサヨナラしよう。

僕にはカレーがある。
僕にはラーメンもある。
友達もいる、もう孤独じゃない。


〈終〉


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