【LTRインタビュー:瀧川 淳(たきかわ・じゅん)】音や映像を最上の状態で伝える。そのためのアーカイブづくりを
(初投稿2024/3/14)
子どものころから音楽が好きで、カナダで過ごした中学高校時代には地元のブラスバンドに入ってトランペットを吹いていたという瀧川淳さん。ひとりでなく仲間とアンサンブルを組んで演奏するのが楽しく、吹奏楽への興味が膨らんでいったと述懐する。いずれ日本に帰ってからも仕事としてずっと音楽をやっていきたいという思いを実らせ、現在は国立音楽大学などで教鞭をとる。専門は音楽教育学と聞くが、はて、これはどういう学問なのだろう。
音楽と人とのかかわり、音楽を介した人と人とのかかわりに関することはすべて音楽教育学の範疇に入ると考えています。お父さんやお母さんがわが子に子守唄を歌って聴かせるのも家庭での音楽教育のひとつかもしれません。さらに、学校を卒業して社会人になり、やがてリタイアしても音楽と人のつながりはそのまま続くので、人が生まれて死ぬまでのすべてが対象になるのかなと。
一方、私が研究の中心に据えているのは「音楽教師のプロとはどのような人か」を探ること。具体的には、教えるのが上手な先生の授業を継続的に観察し、意味づけをするんです。たとえば想定していなかった生徒の行為に出合った時、先生のとっさの導きでうまくことが運ぶことがよくあります。そんな場面に対して私が、あれはどうして? と聞くと、○○くんがこういう状況だったからと明確な答えが返ってきます。優れた先生はそれぞれの経験に基づく方法論をお持ちですが、必ずしも本人が自覚しているとは限りません。身体化され、意識しなくてもできる行為として無意識の領域に入っているのです。そして、先生は経験を積み重ねることで、この無意識の領域に多種多様な知識やワザが蓄積されています。これがあるから、次に予想外の出来事が起きてもすぐ気づいて対処できるんです。じつは重要なのはこのこと。プロたるゆえんはそこにあると捉えています。
授業の進め方は問題なかったか、生徒にどういう変化が見られたか。先生と一緒に授業をリフレクト(振り返り)するのが研究者の仕事。この作業を経て「今日はよかった」という実感を先生一人ひとりが持てるし、それはご自身のスタイルをつくっていくことでもあるのです。
教えることを通して自分も学んでいるという瀧川さんがもっとも尊敬しているのがレナード・バーンスタイン。米国生まれの偉大な音楽家:作曲家・指揮者・ピアニストであり、クラシック音楽界の将来を背負って立つ若きリーダーを数多く育てたことも世界中の人々に敬愛され続ける理由だろう。彼のユニークな活動や独特の視点に基づく名言について解説していただくと……。
米国人として初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任したバーンスタインは精力的にコンサートやレコーディングを行うかたわら、1950年代後半から70年代初頭にかけて20年近く「ヤング・ピープルズ・コンサート(青少年のための音楽会)」(注1)というテレビシリーズを手がけました。自ら企画・指揮・司会を務め、一流オーケストラによる演奏を名だたるホールから全米に向けて生放送したのです。「もっとも誇りに思う仕事」と語ったように、子どもたちがクラシックの演奏会に親しむことで生涯にわたって音楽を愛するようにと企図されましたが、むしろ親の世代に広く受け入れられた、伝説のシリーズです。
「画家は画家としての教育を受けなくてもプロになれるけれど、音楽家は音楽家としての教育を受けないとプロになれない」という発言も示唆に富んでいます。こんなことを言うバーンスタインは画家たちに怒られそうですが。クラシック音楽は、先達がつくった技法や様式を次の世代が継承したり壊したりを繰り返して少しずつ発展してきました。歴史としてつながっているからこそ、過去をなおざりにして新しいものや独自のものを生み出すことはできません。学生に発破をかける時、あなたたちも音楽家の道を目ざすつもりならまず成り立ちを勉強しなさいと、彼の言葉を使わせてもらっているというところ(笑)。
古今東西の音楽を学術的に掘り下げ、その魅力をテレビでわかりやすく解き明かした人が日本にもいます。惜しくも昨年亡くなった坂本龍一さんです。2010年から4年間不定期に放映された「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」(注2)というNHKの音楽番組で、講師役の坂本さんはクラシック、ジャズ、民族音楽など好きなジャンルの音楽についての膨大な知識を披露。自作のことも、99%は先人から受け継いだもので自分の個性がそこに1%入って完成すると著書に記しています。
バーンスタインも坂本さんも、クラシック音楽を理解するうえで教育を受けること、なかでも歴史に学ぶことが欠かせないと説いた点で共通している。逆にいうと、それは数百年という歳月を生き抜いてきた力がクラシックにあることの証しではないでしょうか。
大学教員として学生と日常的に接する瀧川さんは、彼らの音楽との向き合い方が大きく変わってきたと指摘する。ヒットチャートや人気ミュージシャンの情報はあふれ、配信サービスも多様化して、あらゆる音楽を手軽に楽しめるにもかかわらず……。このままでは十代、二十代の人たちの音楽に対する感性は鈍くなる一方では、と危惧している。その背景にあるものとは?
私は音楽大学にいるので、クラシック音楽に親しんで育った学生が多い環境ですが、それでもいまの若い人はホントに曲を知らないと感じることが増えてきました。曲ばかりかそれを演奏したかつての名手に関する知識も乏しい。素晴らしい作品が時を超えて残っている理由のひとつは、多くの演奏家たちがその曲を自らの解釈で演奏し続けていることです。また、複雑な構成を持つクラシック音楽は発見に満ちていて聴くたびに気づかされることが多い。演奏家も発見したことを自分で表現するために、何年もかけて準備することがよくあるそうです。そういう曲は、いい演奏を何度も繰り返し聴くことで深い理解に到達できるんです。
サブスクの時代になって、お金を大してかけずとも、いろんな曲が聴き放題、同じ曲でも演奏家はよりどりみどり。その結果、広く浅くしか聴かなくなったのは皮肉というしかありません。アクセスしやすくなったがゆえに心に残らないのですから。そうすると記憶からあっけなく抜け落ちてしまうのは、みなさんも覚えがあるのではないですか? さっき「若い人は曲を知らない」と言いましたが、彼らはいい演奏を聴いたことがないのではなく、聴いても覚えていないのかもしれません。
ところが、ひと昔前のクラシック愛好家と話すと、自分にとってこの作品は△△さんの演奏がスタンダードだという声をよく耳にします。刷り込まれたスタンダードと比較しながら別の演奏家の盤を聴いた、とも。こういうことがしにくくなった時代に僕たちは生きているんです。
ただ、どんな曲も時代の傾向や人々のテイストに合わせて演奏スタイルも変わっていくので、普遍的なスタンダードを求めるのはなかなか難しいことです。でも、新しいものをつくろうとすると古いものに学んでそれを乗り越えなくてはならないという気がします。
音楽に限らずスタンダードは人それぞれで誰かに押しつけられるものではない。半面、その人なりのスタンダードがないと良し悪しを判断できない。それは、何事にも自信がないという現代人の抱える悩みに通じるかもしれない。ロングタイムレコーダーズの役割として、スタンダードのひとつをオープンなかたちで人々に指し示すことがあるのでは――瀧川さんの口調に熱がこもる。
芸術は観る人や聴く人で評価が異なるから、これがスタンダードと決められません。しかし、スタンダードがなくては評価もできないのが事実。とすると、ロングタイムレコーダーズがスタンダードと呼べるもののひとつの「示し」になればいいんじゃないでしょうか。
私がロングタイムレコーダーズとかかわるようになったのは、NPO設立とほぼ同時。古いものや商業ベースに乗らないものが消えていく時代、採算を度外視しても本当にいい音楽を残したいと代表理事の椎野伸一さんが言われたのに共感したのが発端です。椎野さんには大学生の時ピアノの指導を受けて以来30年以上も目をかけていただいており、師匠からのお誘いということもあるけれど(笑)もちろんそれが理由でなく、非常にいい取り組みだと思ったのです。
そもそも音楽は楽譜でしかとどめられない時代が長く続いたあと、近代に入って録音技術が発達したことにより「音」として残せるようになりました。しかし、残すだけでは十分ではない。情報整理や検索のためのリスト化を進め、誰でもいつでもアクセス可能な状態にする、すなわちアーカイブ化の必要性にも椎野さんが言及されたので、それは大事なことだなと。
正会員にはピアノで美しい音をつくる椎野さんをはじめアーティストが何人もいて、音を最上の状態で記録・保存しようと知恵と技術をフル活用する人たちも集まっています。こういう場で自分にできることはなんだろうと、最初は不安だったんです。それでも趣旨に賛同したので、ぜひ加わらせてくださいとお話しました。
ちょっと考えているのは、楽譜があっても埋もれたままの昔の作品を収録してアーカイブしてはどうかということ。私が勤務する国立音楽大学は、楽譜、それも初版の所蔵では日本一で宝の山です。大半は有名な交響曲やオペラの編曲譜、つまり原曲でなくアレンジされたもの。これらは当時、ポピュラーミュージックとして娯楽を求める庶民の間でもてはやされましたが、今日では聴く機会がほとんどありません。そういった曲を録音して残していくのも価値あることだと思います。クラシック音楽の幅広い世界を知ってもらえるはずです。
それから、YouTubeに昨年アップロードされた日本遺産の石見神楽(注3)など公開しているプログラムもだんだん増えてきました。ロングタイムレコーダーズのアーカイブに行くと他所で見つからなかったものがある、しかも音や映像が巧みに編集されていい状態で視聴できる、というふうにゆくゆくはなっていったら望ましい。私も、ちょっとでもそのお手伝いができたらすごくうれしいなぁと思っています。不穏な時代ではあるけれど、あせらず着実に歩んでいきたいですね。
2023/4/28@国立音楽大学・瀧川研究室
(インタビュー & 文:閑)
*瀧川淳さんは、NPO法人ロングタイムレコーダーズの正会員
(注2)スコラ 坂本龍一 音楽の学校
(注3)日本遺産の石見神楽