くそ勇者のうたが胸の奥のくやしさを
今回はぼっちぼろまるさんの『勇者のくせに』という曲の感想と紹介です。
#ADVENTUNE というぼろまるさんが企画したVのコンピレーションアルバムのトリを飾るこの曲なんですがこの位置にあるのが本当に『ズルい』
ほんとにいろんな意味で『勇者のくせに』なんです。他のモチーフの曲はそれぞれのモチーフに乗っ取った曲、しっかりとロールプレイされた曲です(村人はパリピのロール)。だけど、勇者はぜんぜん勇者らしくない。
ゲームというシステムについてはミディさんや八月二雪さんもメタっていたりするんですが、ロールには徹しています。特にミディさんのは『Close to my heart』はゲームシステム、物語を俯瞰するという立場をとる女神のロールとして音楽の中でここまでうまく書けるのかと驚きました。
この『物語の俯瞰』というのは女神だからこそできる視点ですし、だからこそ一曲目になっているんだと思います。ロールがロールなだけに登場するだけで物語にインパクトを与えます。2~8番目に置くのは前後の曲との関連を打ち合わせない限りは難しかったでしょう。
では勇者はどうでしょう。もちろん勇者ですから大事なポジションですし、ぼろまるさんが締めるとなればそれまでの曲の物語に対してのなんらかの『オチ』や『答え』を聴いてる方としては見い出したくなります。非常に難しいポジションですね。しかも勇者なんてみんなある程度のイメージがありますから。奇をてらうにもオチとしてはきっちり機能しなければいけませんから。いや、むっず。
しかしこの勇者、最初の女神と逆の視点をいくことで見事なオチになっています。
どういうことかといいますと、物語の俯瞰というのはどちらかというと『読者側の視点』ですよね。女神が読者のところまで言って物語をメタっている。一方でこの勇者は『読者を物語の中に引き摺り込んだあげくに現実で前を向かせる』ということを『全くまぶしくない』フレーズでやってのけてるんです。勇者のくせに。
自分を『勇者』と認識こそしていますが、メタっていないのに聴いている私たちの生活のままならなさを唄う上手さはぼろまるさん、天下一品ですね。あくまで『勇者』の視点に徹することで「偽善」をファンタジーなのにリアルの私達に響かせにきてるんですよ。
聴く人の心に手垢のついた勇者像や理想の自分があるからこそ、この曲までに奔放なファンタジーの住人が歌われてきたからこそ、この「らしくない勇者」のそれでも前を向いている姿勢や現実のままならさに傷つく姿にひどく胸を打たれるわけです。
「でも でも」 どれだけ自分の胸の中で叫んだことか。
誰よりも自分の期待を裏切ったことがある人ならば、
零したくなかった涙がある人ならば、
間違っていないと自分に言い聞かせたことのある人ならば、
くそ勇者のうたがきっと届くはずです。