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千葉県長生郡長南町の笠森観音堂の工夫

この観音堂はWIKIPEDIAによると1028年御一条天皇の勅願でたてられたと伝えられているが、その後消失し、解体修理の際発見された墨書銘から(1958年観音堂を全解体し復元修理したときのことじゃないか?)現在の建物は1579~1597年のものとされる。

清水寺と工法が似ているが、梁・柱の組み方が清水寺は後方に山があったので三方懸造:笠森観音堂は四方ふさぐものがないので、四方懸造と違いはあるが、伝統工法であると思えば、清水寺が江戸初期建立であることを考えれば、この笠森観音堂が安土桃山時代に再建立されたというのは、納得がいく。

清水寺に似てると、みに来る人がいると、お寺の方が話された。確かに似ている。が、似ているというフィードバックで済ますのは、自分の本意ではない。清水寺の舞台は、屋根が掛かっていない。梁には板屋根がかけてある。ここは、屋根が掛かっている、とはいえ400年以上の長期の場合、雨水のかかる確率は減少されるが、どの位の劣化確率なのか?板屋根がなくても同程度持つぐらいの劣化度なのか?


根継ぎで柱を直している。

柱の根元に銅板が置かれている。1958年の再生修理時だろう。梁もそうではないか?

根元の銅板の設置がわかりやすい。金属板が緑色なので間違いない。

雨が直接かからないように、屋根がついてる。板屋根設置と同じ思考。

耐震性を確保するため、ターンバックル使用。これは、1958年の大改修時期より後じゃないか?新耐震以降じゃないか?


古い建造物の工法は非常に参考になる。ちょっとした工夫がどう耐久性に影響するのか?また、時々のメンテナンスが中世の建造物を現代でも息づく原動力になっている。また、木材の腐朽する栄養分を減らすための銅(銅屋根もそうだが)の意味を理解しやすい。



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