「御上先生」を観ていて思い出すこと-ドラマ感想ではありません
冬ドラマが続々と始まっていますね。
全部見てるわけではありませんが、今のところ「御上先生」が別格で面白いです。
攻めてるな~、ヒリヒリするな~、と思いながら観ています。
観ていると自分の学生時代、特に中学校時代を思い出します。
ドラマの舞台は偏差値の高いエリート高校。
いろんなタイプの子たちがいるけど、基本、勉強ができる子たち。
そんな子たちの、大人に対して“クソ生意気”な雰囲気が、中学時代の勉強のできた子たちに重なります。特に男子。
私は公立中学校だったので、生徒たちの勉強レベルは玉石混交なわけですが、その中で勉強のできた男子たちってこんな感じだったなあと。
大人、というか教師に対して、やけに対等で自信満々な感じ。
でも同世代のクラスメイトとしては、話をすると面白い人たちでした。
みんな、偏差値の高い高校に進んでいったけど、その後どうしたのかな。
地方の村出身の夫は、今でも小中高大学まで、同窓会や同期会のお知らせお誘いが定期的に来ますが、私にはもう全く音沙汰がないな。
東京だからでしょうか?
まあ、今更その頃の人たちに会いたいわけでもないので、いいのですが。
ちなみに、女子同士の仲には勉強はあまり影響してなかったように思います。
それより、今何が好きかってことの方がずっと大事だったな。
アイドル(あの頃は“新御三家”)、映画スター(ブルース・リーとか)、漫画(マーガレットとりぼんが両頭だった)など。
あの頃仲の良かった友達の成績がどのくらいだったのかなんて、気にしたこともなかったなー。
昨日の2回目を観ていて、また母の事を思い出しました。
臼田あさみさんの養護教師、すてきですよね。
私の時代は「保健の先生」と言われていました。
小学校4年生の時の保健の先生がとてもとてもステキな先生で、憧れました。
暇さえあれば保健室に行って、いろんなお喋りをしました。
来るもの拒まずな、子ども相手でも対等に話をしてくれる先生で。
多分、自分を認めて受け入れてくれる感じ、というのがあったのだと思います。
家では否定されてばかりでしたので。
保健室にいると、ケガをしたり具合が悪くなったりした子がくるのですが、そんな時でも私たちを追い出すことはせず、むしろ手伝わせてくれました。
それで私はもうすっかり「大人になったら保健の先生になりたい!」「じゃなきゃ看護師さん(当時は看護婦)になりたい、ぜったい!」
ナイチンゲールの伝記を読んだり、先生から「看護婦になるにはどうしたらいいか」という具体的な方法、道筋なども教わって、ただの憧れから志と言える強い気持ちになりました。
そしてある日、家で希望に胸膨らませて「大人になったら看護婦さんになる!」と宣言したのでしたが。
母から「看護婦なんてダメ、ぜったい!」と一刀両断。
「人の下の世話をする卑しい仕事」だと言われ、大好きな保健の先生まで侮辱されたようなショックを受けました。
思えばいろいろ偏見の強い人でした。
私が成長するにつれ、「アルバイトするのに飲食店は水商売だからダメ」「結婚するのに相撲取りと画家はダメ」。
今もって謎な価値観。
今の私はお相撲大好きだし、絵を描く人、描ける人は尊敬以外の何物でもないのですが。
母の生家は裕福でも由緒があるわけでもなかったのに、どこでそんな価値観が植わったのだろうか。
謎過ぎる。
人生初の志をばっさり否定された私は、その後小学校の卒業文集に乗せる「将来の夢」の作文に本当の夢のことは書けず、その頃ピアノを習っていたので「将来の夢はピアノの先生」と書きました。
「ピアニストに」と書けるほどの力がないことは自分で充分わかっていたので「自宅で子どもたちにピアノを教えるピアノの先生」と書いたのです。
母からは「なんて現実的なの。夢でもなんでもないじゃない」と鼻で笑われました。
なんなん?!
どう書いたら満足だったん?!
思い出すと血圧が上がるので、この辺にしておきます。