【それが好きだと叫びたい】モノクロの先で、色のあるヌンとしたモノたちにごまかされて、よろこぶ。
小学生の時、おかしな夢を見た。あまりにおかしかったので、次の日、さっそく友だちに話した。
「なんかさ、殺人犯に追いかけられていて、荒屋に逃げ込んだんだけど、床に、べったべたに汚れた穴があるの。
入りたくないけど、逃げるにはそこを通るしかないからさ、思い切って飛び込んでみたんだよ。イヤだけど。そしたら、抜けた先に……
虹色に光るタモリさんが……」
「えっ?! ちょっと待って!!」
聞いていた友だちの1人が叫ぶ。
「うそ! 夢って、色、ついているの??」
わたしはその時はじめて知った。
世の中には寝ている時に見る夢がモノクロで、色がない夢を見る人がいることを。
衝撃的だった。自分自身が夢を見るときはフルカラーでしか見たことがなかったし、色が印象に残る夢が多かった。
なにより、そのモノクロで夢を見る友だちは、いつもかなり鮮やかな色の服を着ていた。なんならその日も、ファションピンク色のトレーナーを着ていた……なのに、モノクロの夢……。
地味な色のカーディガンを羽織ったわたしは“虹色タモさん”のことも忘れて、「色がなくなるってどんな感じなんだろう?」と、ぼやっと考えてしまったのだった。
そんな、子どもの頃に抱いた疑問に答えるような展示を見てきた。
カラーで見ていたものがモノクロに変わる。どんな感覚だろう。
展示室に入る。
アレ?
わたしが気に入っていた写真、どこ行った?!
展示室の配置は変わっていない。キャプションもそのままだ。頭でモノクロに置き換わっているとわかっているのに、どうも感覚の処理が追いついていない。
そして、やらないつもりでいても、どうしてもカラーの時のことを思い浮かべて比較を始めてしまう。
うーん……
「プレーンな気持ちで見直そう……」
新しいものを見にきたスタンスに切り替えた。
色という情報がなくなると、そのものの形がより明確になる。
カラーの時には気づけなかった美しさに向き合わされる。好きな写真がカラーの時と変わる。
半月前に同じものを見ているのに、だいぶ新鮮に「こんな形だったっけ?」と楽しめた。普段どれほど色に気を取られ、本来の形まで見ていなかったのか。
白黒で夢を見ていた友だちは、モノクロの世界にいけることで、日常をみんなとは異なる目で見ていたのかもしれない。突拍子もないことや、時々鋭いことを言う子だった。
モノクロの世界から、見慣れた展示室に移動する。色のある世界に安心感がただよう。
そして、また、この日心に止まったものを写真に収めてみると……
帰って写真フォルダを見返すと、穏やかでヌーンとしたものばかりだった。それぞれの所蔵品はもちろん、個性的な形をしているが、土や木の柔らかい色、まわりの景色の色で中和され、安心して眺められる。
色に影響され本質をごまかされているのかもしれないが、それでも、色のある世界はやっぱり落ち着く。「安心だな」とひといきつく。
……そういえば、冒頭の“虹色タモさん”の夢だが、出会ったあとは特に大きな話の展開があるわけではなく、ただただ虹色に光る隙っ歯を見せてタモさんが笑っているだけの夢だった……。