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たずね“られ”人
「大手町にはどうやって行けばいいのかな?」
見知らぬおじいさんに声をかけられる。
丸紅ギャラリーの帰り道である。
「……電車のルートでいいですか?」
「うん、うん、電車で」
よかった。竹橋から大手町なら歩けなくもない。徒歩と言われたらどう説明しようかと思ったが、これなら……!
わたしは、とにかくよく見知らぬ人に声をかけられる。
道をたずねられるのは日常茶飯事。
はじめて行く場所で、こちらもGoogleマップをぐりんぐりん回してガン見しているのに、「××に行くにはどうすればいいか?」などとたずねられる。ご年配の方からが多いが、上京したてな雰囲気の人、そして最近は、外国人からたずねられる率も上がっている……。
超絶方向音痴な上に、アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ!の極みなのに……
なぜ?
ただ、それでいくと、今回の“おたずね”はイージーだ。自分もそちらの方面に行くからと、一緒に電車に乗る。
車中、久しぶりの上京であること、大手町と言っていたが実は別の駅で乗り換えるつもりだということを聞かされる。追加で聞いた行き先はなかなかに遠い。そのわりにホワホワしていて、この後ひとりになったらまた迷いやしないかと心配になる。
乗り換えルートを調べる提案もしてみたが、
「いいよ、いいよ」
と、ニコニコするばかり。
結局、世間話だけをして別れた。去り際、おじいさんは満足げに手を振っていたが、案内しきれなかったのに、目的地にたどり着けたのだろうか……?
そうなのだ。
たずねられたはいいが、その答えでよかったのか、なんだかスッキリしないこと、答えに迷う“おたずね”も多い。
電車で、隣に立ったご婦人から
「その持ち物、すてきね。どこで買ったの?」
→お店の名前を言って伝わるのかと迷い、言い淀んだこと、複数回。
スーパーの鮮魚売り場付近で、スーツにハットをかぶった紳士から
「お寿司、食べたいよねー? 食べたいでしょ?」
→え? なに? おごってくれるの? それはそれで恐縮っす!! 曖昧に笑って立ち去る。
阿佐ヶ谷のカフェで、テーブルの近くを通りがかった人から
「あなたは猫娘ですか?」
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→?!?! いきなりすぎてフリーズしてしまった。なんか気の利いた返しをするべきだったか?
など、見知らぬ人々からの忘れられない“おたずね”はたくさんある。
さらに、
「仏像を掘っているのだけれど、何かいいお手本はないか?」
という、仏像づくりに関する“おたずね”を5年前と、2年前、2回も受けている。
わたしにはまったく木彫りの心得はない!
仏像にも詳しくはない!
図書館と本屋さんでそれぞれたずねられたのだが……
なぜ、わたしにたずねてくるんだ??
無碍にもできず、ネットでちょこちょこっと調べて参考になりそうな本をお伝えしてみたが……あんな回答でよかったのか……?
うーん……
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……。
なぜなんだ?!
たずね“られ”人から
見知らぬだれかにたずねてみたい……
なぜ、その質問をわたしにたずねてきたのでしょう??
質問に質問で聞き返す、こたえのないお話。