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タヌキにつままれ“分福茶釜”
子どもの頃、上機嫌で酒を呑む父から何度となく聞かされてきた話がある。
生家の先祖は、江戸末期のわりと名のある武士の親類縁者であったが、養子に出されこの地に流れ着いた。さらに次の代で何がどうなったのか、清水次郎長のような感じで一家をかまえ、子分を従えて橋を作ったりなんだりしていた、云々……
……眉唾物である。
今の生家は至極ふっっっつうのサラリーマン家庭だ。にわかには信じがたい。
しかし、呑んべいな親戚どもからも、集まるたびに、「やれこの家には剣術にも書にも優れた重要な幕臣の書がある」だの、「仕込み刀があった」だの、「お寺からぜったい門外不出にしろと言われている経典がある」だの、なんだかいわくありげな古いものの話がわんさか出てくるのだ。そして、刀以外は、それらしきものが確かに保管してある。
大人になってふと思い出し、ネットなどで調べてみると、たしかに呑んべいたちから聞かされたことと、史実に書かれていることとが重なる部分もあり、まったくないとも言い切れない、なんだかビミョーなラインではある。
うーむ。
そんな中、年末間際になってふと、子どもの頃に見せられたあるもののことを思い出した。
やはり、呑んで上機嫌だった父が「うちには面白いものがある」と言って取り出してきた……
“分福茶釜”
のことだ。
幼い頃の記憶だと、ぷくりと丸みのある、南部鉄器のような小ぶりな茶釜だったような……
あの時は、なんだか訳もわからずに見ていたが……本当なら、すごいものなのではなかろうか……?
が、
分福茶釜のお伽噺で考えると、あれはタヌキが化けたものだし、実物の茶釜は残らないのでは……?
改めて調べると、一般的には、分福茶釜は群馬県の茂林寺が所蔵しているとされている。
じゃあ、子どもの頃見せられたアレはナニ?
その謎を解くべく、今回の帰省でシラフの父に聞いてみた。
「ねぇ、小さい頃、うちに分福茶釜が
あるって見せてくれたよね?」
「……んん?
あぁ、あるよ……!」
…… え? やっぱりあるの??
和室の戸棚をごそごそしていた父が取り出してきたものがこれだ。
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タヌキでなく、また巨大化したワンコ。
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我が家で江戸時代の終わりくらいから曾祖母の代まで使われていた真鍮の茶釜だという。
年代物ではありそうだが……
獅子だし、なんだかタヌキ感はない。
なんでこれを分福茶釜だと言うの??
「いや、ずっとそう呼ばれていたし、
なんだか……ふっくりしていて、
かわいげがあるからじゃないか?」
なんだよーっ!
なんのことはない、我が家で代々、分福茶釜って呼んできたってだけの話じゃないかっ!!
なんだかタヌキにつままれたようで、拍子抜けし、笑ってしまったのだった。
茶釜の件を考えると、家系の話もなんだかあやしげなところではある。
ただ、話としてはよくできていて面白い。
そんなわけなので、もうこのまま、タヌキにつままれたママにして、家系の話は愉快なお伽噺として語り継いでいこうと思う。