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小さな食堂 やめてしまった店主たちのその後の人生は。
小さな食堂とは、一人または、家族で営んでいる食堂のこと。従業員はいても会社組織にしていない食堂。
ご近所にも本当に小さな5人しか座れない食堂から、100人も着席できる食堂まであります。
その存在意義は小さくなくて、食事の提供だけでなく、店主はみな、お客様に喜んでいただきたい、その一心で運営し、特色を出し、居心地よくよりおいしいものを提供しようと毎日努力し、近隣の常連様から愛されています。
店
小さな食堂店主 弁護士さんの使い方
いまは機嫌よく生活ができていますが、これまでの人生で、もちろん、トラブルはありました!自分で解決ができそうにない時、みなさまはどうされていますか。
小さな食堂を経営していると色々なトラブルがあるのでしょうね、と言われそうですが。
違います。食堂運営中の数年に困りごとは一つもなかったです。大げさでなく楽しすぎて感謝感激の日々でした。
でもお客様からトラブルや悩みをどうしたらいいのか、解決の糸口
小さな食堂の店主 重荷がおろせたお客様からのお話し3つ ③愛してますか。
ひょんなことから、小さな食堂を開くこととなったわたしは、物理的な、店舗の「とびら」を開けていたら、こんなにもたくさんの方々に喜びと驚きを持って、お越しいただくことになり、いろんな方々の人生を知り、関わらせていただくことになりました。それは、今まで保守的で(今もかも)頑なだった心も開かれて、全然違う人間に生まれ変わった気がしています。
特に、「恋愛」
私の青春時代の昭和は、私の記憶では外でイチャ
小さな食堂の店主 重荷がおろせたお客様からのお話し3つ ②
若い頃は、早く大人になりたかった。
そして、今は、若いことが羨ましい。
いつもないものが欲しくて、絶対に手に入らないものはあきらめたけど、
ようやっと欲しいものが手に入ったとき、多幸感に浸ることもなく、なんということか、特に大事にもせず、次に欲しいものを追いかけていた人生だった気がする。
「大事」にする性格だったら、もっと違った人生だったと思う。
「大事」にしなければ、壊れる。ということが
小さな食堂の店主 重荷がおろせたお客様からのお話し3つ ①シーツ替えする頻度。
一つめのこのお話。お名前を出してもいいと言っていただいてるんです。でも、
Dr.アロハにします。
Dr.アロハは、現在40代の内科医です。小さなお店で提供していたオーセンティックなフリフリチキンと言う珍しい料理を愛して下さって、頻繁にご利用いただき、ハワイ大好きな彼は、食堂を閉じた後も、ウクレレ同好会やハワイアンイベントなどにお付き合いくださり、今ではすでに長いお付き合いとなっています。
国
小さな食堂にいらした朝日放送元アナウンサープロデューサー
やっぱりプロはすごい。
「はじめまして。成宮といいます。」
この第一声で「えっ!!!すごい」成宮さんがいらしたとき、そのお声の良さ、セクシーで上品な、なんともいえないつややかなお声に魅了されたことを昨日のように思い出せます。
こ、これこそが、バリトンボイス!!
プロのアナウンサーさんでした。
訓練の賜物なのか、はたまた生まれつきのものなのか、お伺いしませんでしたが、おそらく、その両方なん
じか足袋(六甲山)歩き 近況① トランピング市ケ原ナイトハイク!たこ飯レシピ付き
「ハワイの焼き鳥 フリフリチキン」というキャッチフレーズで小さな食堂を開いたら、なんだこりゃ的「おもろい」人々との出会いがあり、温かい思い出やときには残念な別れもあり、泣き笑いで過ごしました。
それらを思い出して、書き残そうとしていますが、実は、私、過去を振り返るのんは好きではありません。しかしながら、凡人には体験した過去のことしか書けないというジレンマがあります!が、書き残すと、なにかしら意義
小さな食堂 店主ハワイへ行く①ハワイのルールに気を付けて!
2011年に「ハワイの焼き鳥フリフリチキン」というキャッチフレーズで小さな食堂をはじめました。
一年に一度はハワイに行くようにするつもりだったのですが、初めの1年は忙しすぎて到底無理でした。
2013年、2015年、2017年になんとか時間を作って、渡ハ。それから行けないままパンデミック。2022年にハワイ行かれた方からは旅行者が少なくてすごく空いていた、と聞きました。心はざわざわ。心配です。
小さな食堂、ご活躍中の日系アメリカ人の刺激で生まれた私の矜持②
「ハワイ」は発見されてからというもの、欧米列強各国から『植民地にする』ため、狙われ続けました。
「土地を所有する」という概念がなかったハワイの人から、土地を奪って、様々なハワイの人の苦しみを踏み台に、結局アメリカにしてしまったわけですが、食堂のお得意様のお一人で、ウクレレ奏者で医師のモロカイ先生(仮名)がお食事中に言い放った言葉があります。
『早く日本もアメリカになれ!!』
通貨はドルにして
小さな食堂なのに、音楽家たちが続々と集り幸せを運んでくれた話
1950年~1980年くらいの時代、昭和でくくってもいいのかもしれない頃は、各家庭毎に微妙に違っても、確かな「不文律」が存在していたのです。わかる人にはわかる、古き(良き)時代。
例えば、家の中でも、「男の仕事」、「女の仕事」というのがそれぞれありました。先鋭的というか、時代の先端をいくお考えのお家は違ったかもしれませんが、わたしの育った環境は、父が大黒柱。家での絶対権力者で、女は逆らえないので
小さな食堂、ご活躍中の日系アメリカ人の刺激で生まれた私の矜持①
ハワイローカルの料理の一つ、「フリフリチキン」を提供する小さな食堂を開いて、やっと落ち着き始めた2年ほどたったころ。以前にも書きましたがハワイから続々とハワイの方々が訪れてくださったことは、予想もしておらず、本当に驚きました。
この写真をご覧になられたら、これはハワイの人ではなく「日本人では?」と思われるかもしれません。この方々は「ハワイ生れ、ハワイ育ち」生粋のハワイ出身の方(日本にルーツをもつ
小さな食堂でウクレレ教室したら楽しすぎた話④フラの方々が押し寄せる、フラとは。
「ハワイの焼き鳥」というキャッチフレーズで「フリフリチキン」(ハワイがオリジナルのローカルチキン料理)のお店を開いてみたら、「ハワイ好き」の方々に続々とお見えいただいただきました。その中には、フラされる方もたくさんいらしていただきました。※フラとは、ハワイ語で「ダンス」という意味なので「フラダンス」というと「ダンスダンス」になりおかしいらしいです。「フラ」というとハワイのダンスのあれを指しますので
もっとみる小さな食堂の店主。ママと呼ばれてママになる。
「ママ、ビールちょうだい」
はじめて、知らん人(お客様です)から「ママ」と呼ばれて、戸惑ったけれど、ちょい、嬉しかったことを覚えています。
多分、夜の世界で遊び慣れている人なんだと思います。
最初にそう声をかけた男性のことはよく覚えています。もちろん、常連さんになられたからでもありましたが。すらりとした男前の若社長。
でもここは、小さな食堂で、「フリフリチキン」と「サラダ」くらいしかありま
小さな食堂でウクレレ教室をしたら楽しすぎた話③私にはどのウクレレがいい?
ウクレレ選びに悩む人は少ない。(言い切ります)
ほとんどの方が真新しい楽器(ウクレレ)を背負って、やって来ます。
「ウクレレ買ったのですが。教えて欲しい」
どうしてこのウクレレを選んだのですか。
え?楽器店にこれがあったから。プレゼントされたから。ハワイのお店でこれが輝いていたから。母が弾いていた古いウクレレです。
理由は様々ですが、そのウクレレとご縁があったのだと思います。
でも体感で
小さな食堂にビッグなお客様Rattlesnake Annie
誘っていただいて、阪急岡本の趣があるお上品なライブハウスで、彼女の演奏を聞かせていただいた、2015年の3月。
もともと、カントリーミュージックやR&Bが好きではありましたが、ああ、これが、スピリチュアルなんだと感じたあの夜の感動は決して忘れない強烈なものでした。
彼女の名前は、『Rattlesnake Annie』(ラトルスネーク アーニィ)Rattlesnakeってあの猛毒を持つガラガラヘ
小さな食堂のチキンは国産なのか、輸入ものなのか、どっちがおいしい?の問題を考える。
「ハワイの焼き鳥 フリフリチキン」というキャッチフレーズで始めた小さな食堂。丸鳥をアジの開きのごとく開いて両面を炭火で焼くという大胆な調理法のチキン料理です。
丸いまま焼くとどうしても内側に臭みが溜まるので、ニンニクやセロリなど香味野菜を詰めて焼くわけですが、フリフリチキンは開いているので両面を香ばしく焼くことができます。初めてハワイでこの料理法を見たときになるほど!!すごい!!と感激して、日本