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【短編小説】演じる私

月初のこの時期、私はいつも他のパートナーさんの受け入れを担当している。

業務説明、アカウント申請、必要な手続きのすべて。

先輩が休みだった今日は、
そのすべてをひとりでこなした。

定時の一時間前、やっとひと息つく。

でも、
まだ自分のタスクには一つも手をつけていない。

そんなとき、チャットの通知音が鳴った。

 「少しお時間いいですか?」

 後輩からのメッセージ。嫌な予感がする。

 「オンラインで会議しませんか?」

 予感は的中した。

渋々、ビデオ会議を立ち上げる。
画面越しの後輩は
申し訳なさそうな顔をしている。

「テストケースの確認なんですが、ここってこのままでいいですか? あと、レビューの文言を一言一句見ていただきたくて……」

私はパソコンの画面と、
デスクの隅に置いた
スマホの時計を交互に見つめる。

19時まで、あと45分。

 「えっと……この文言だけど……」

できるだけ穏やかに話す。
でも、心の中はざわざわしていた。

まだ何も終わってないのに。

私は優しい先輩を演じたい。

ちゃんと後輩の話を聞いて、
わかりやすく説明できる先輩になりたい。

でも、その余裕がない。

時間に追われると、焦りが態度に出る。

冷たく聞こえていないだろうか。

機嫌が悪いと思われていないだろうか。

 「ここは、この表現のほうが自然かな?」

なるべく柔らかい声で言う。でも、時計は止まってくれない。

 気がつけば、定時はとうに過ぎていた。
後輩をサポートしている間に、時計の針は19時を回っていた。

 「さあ、やっと自分の作業に取りかかれる」

そう思ったとき、肩を叩かれる。

 「大丈夫?手伝おうか?」

 先輩の柔らかい声。

気にかけてもらえるのは嬉しい。
でも、私は咄嗟に首を横に振った。

 「大丈夫です、ありがとうございます」

この言葉が口をついて出るのは、
もう習慣みたいなものだった。

だって、私は「使える後輩」でもいたいから。

大丈夫じゃないのに、大丈夫と言う。

それが、
後輩としての「正解」なのだと思っていた。

 気づけば21時。

 今日一日、何をしただろう。

何か成し遂げた気はしないのに、
時間だけがあっという間に過ぎていく。

私の仕事って、なんだろう。

誰かのフォローに回って、
頼られて、感謝される。

それは悪い気分じゃない。 

でも、その分だけ、自分の時間が削られていく。

 「このままでいいのかな」

そんな疑問が一瞬よぎる。
でも、答えは出ない。 
考えている時間もない。

私はコートを羽織ってオフィスを出る。

駅へ向かう足取りは重かった。

そして、電車のホームに立った瞬間、
ため息が漏れた。

電車遅延。

ホームの電光掲示板が、 
遅延の理由を淡々と映し出している。

 「ついてないな……」

 ポケットからスマホを取り出し、
SNSを開いてみる。

満員の車両の写真とともに、
誰かが「最悪」とつぶやいている。

 みんな同じ気持ちなんだな。

 そう思っても気は晴れなかった。

 今日もまた、私は誰かのために「演じた」。

 でも、
私はいったい誰のために働いているんだろう。

 そんなことを考えても、
電車が早く来るわけじゃない。

私はただ、流れるアナウンスを聞きながら、
遅れた時間を持て余していた。
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仕事をしていると、
知らないうちに誰かの期待に応えようと
していませんか?

本当は「大丈夫じゃない」のに、
大丈夫だと笑ってしまっていませんか?

気づいたときには、もう21時。
帰りの電車を待ちながら、
「私って何をやってるんだろう」って考えたこと、ありませんか?

それでも、明日になればまた同じ一日が始まる。
今日も「優しい先輩」を演じて、また「使える後輩」を演じる。

そんな毎日を、みなさんはどう思いますか?

読んでくださって、ありがとうございました。

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