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【進学コースについて】



【はじめに】

この記事は学校を貶める目的ではなく、
未来の生徒がより良い選択をするための情報提供です。これは単なる学校嫌いや悪ふざけのアンチではありません。ここで憂さ晴らしをしたいわけでもありません。これ以上苦しむ人が増えないようにという、公益を図る目的でこの記事を書いています。 
そこだけはっきりさせておきたいです。
また、ここで特定の個人に対する中傷を行う意図はありません。言葉や表現、内容に注意しながら記入するので、あくまで個人の感想というベースで話を進めます。長くなりますが、真剣に書くので
ぜひ最後まで読んでみてください。
 
【これを見ている進学コース卒業生へ】
自分は卒業したからそれでいい
自分にはもう関係ない、自分がよければそれでいい
それじゃあ駄目。自分さえ良ければそれで良いなんて人ばかりだから国の政治だって変わるわけない。自分のことだけではなく、自分のようにこれ以上
苦しむ人、後悔する人を増やしてはいけないという他人への思いやりを大切にしてほしい。
どんな時だって、少しでも多くの人が当事者意識を
持って声を上げなければ状況は変わらない。


【進学コースについて】

他のサイトでの口コミのほとんどは正直リアルじゃないです。甘すぎて、本当に進学コースに通っていた、あるいは通わせていた人間が書いたものなのか疑いたくなるようなものばかりでした。全てではありませんが、否定的な口コミの方が大抵合っているような気がします。目標を持って進学コースで本気で生きようとする人間に「楽しい!」なんて感情は滅多に生まれないと思います。つらくなる、精神的に負担を感じるのが普通の人間です。楽しいと感じて生活できている時点で、相当ぬるいです
(※学校生活が楽しいのは良いことです)

私は実際に中高6年間(進学コース)この学校に通い、偏差値70弱の大学に進学しました。
その経験を踏まえて、少しでも多くの方が納得のいく学校選びが出来るよう、楽しい学生生活を送れるよう、これ以上苦しむ人が増えないよう、
その一助として微力ながらも事実に基づきこの
レビューを書き記します。それなりの強度で受験勉強をし、結果を出した上での感想なので大分説得力はあると思います。


【受験対策と進学実績のリアル】

まず、受験勉強、大学合格という部分においては
この学校は俗に言う【自称進学校】というのが
私個人の正直な感想です。
【⚠受験において高い目標を持つ方にはおすすめしません】大学受験に関して高い目標(MARCH以上)を持つ方は、古川であれば絶対に古高、もしくは
もう少し頑張って仙台方面の進学校に進んだ上で、
大手予備校のプロの下で徹底的に受験対策をした方が良いと思います。(東進、河合、駿台など)
一方でそこまで高い目標ではないという方は
あまりシビアにならなくて大丈夫です。
【国立】→宮教、山形、岩手 
【私立】→東北学院あたり
これらは例年進学者が多いので、ハードに受験勉強!というよりは、授業についていき、それなりに定期テストの勉強をしていれば無理なく受かると思います。しかし、旧帝、医学科、早慶、MARCH
などを目指すのであればかなり厳しいと思います。
これらは体感としては、定期テストではなく模試で安定して学年一桁くらいであれば実力としては十分だと思います(※勿論、その年度の学年のレベルにもよります)
当たり前ですがこのレベルになるともちろん授業では不十分なので(この学校に限らず一般論として)
自分で参考書にどんどん取り組み、
余程自主学習に長けていない限り、基本的には
予備校に通うなりした方が良いと思います。
また、自分の勉強スタイルが確立していて
どう勉強したら良いか分かっている人は
一様に周りのレベル合わせた授業や放課後の補習で長い時間拘束されることがかなり負担に感じると
思うので(自分の勉強ができないじゃないか!など)
自主性を重んじるスタンス、自由度の高い高校を
目指した方が良いと思います。

【問題点】

・拘束時間が長い→夜19時過ぎまで
部活の代わりだと謎めいたことを称し、全員が強制参加の「進学研究会」(18時〜19時)というものが
あります。( 通称"進研〟)簡単に言えば8時間目の授業、補習です。学習習慣がない生徒にとっては、ある意味で強制力になって良いかもしれません。しかし、基礎学力があり、学習習慣が確立している生徒にとっては長く拘束されることは足かせでしかないです。本当に邪魔です。何より、そんなに長く拘束して授業をしてもそもそも体力的に限界なんです。夜19時過ぎまで拘束された上に帰宅し、食事→入浴の後、翌日も学校があるのに「よし!勉強しよう!」とはなりません。いくらなんでも体力的に厳しいです。無理があります。自分のやりたい勉強が出来ません。この"進研〟の存在意義に疑問を感じる生徒は毎年おり、教師に意見しますが、

「伝統なんだから」 
「今までの先輩もやってきたんだから」

などと大して中身のない説教を喰らってきました。では、その伝統でどれほど素晴らしい実績を出したのでしょうか。その先輩はどこの大学へ行ったのでしょうか。なぜ、前ほど実績が振るわなくなってきているのでしょうか。


・時代錯誤の伝統
進学コースでは受験生の夏になると
「宣誓式」という高3が高2の前で1人ずつ名前と
自分の志望校を大声で叫ぶという行事が行われ、
高3は自分の志望校を書いた鉢巻を1日中頭に巻いて学校生活を送ります。(←令和ですよ!?)
「学校名 鉢巻」で検索して画像を調べてみて
下さい。学校のホームページにも掲載されています。異様な光景ではないでしょうか。こんなものを頭に巻いて成績が上がるなら誰も苦労しません。

・進学実績の低迷
学校のホームページでは東大◯◯人!!東北大◯◯人!などと、優秀な進学実績があるように見えますが、あれは歴代の過去の数字を合計しているものなので一見インパクトがありますが、注意してください。詳細が気になる方は「各年度」ごとの進学実績をご覧下さい。私が在籍していた当時は、東大を始めとした旧帝大や医学科、早慶などは毎年学年に数名程しかおらず、MARCHすらも中々いないといった状況でした。実質、上位6〜7名程度が(体感的に10名まではいかない)こういった上位レベルの大学に合格するようなイメージだと思いました。
また、上位私立に関しては、国立志望の上位層が
併願して合格しているものがほとんどなので、
同じ生徒が重複することで一見、頭数が増えているだけです。恐らく延べ人数だと思います。

・東大は数年に1人出るか出ないか(ごく稀)
・早慶は東大志望者の併願(共テ利用など)
・医学科は学年に1人いれば、、というレベル
・東北大は良くて5人受かるかどうか(3人受かれば十分)
・当初東北大志望→山形大進学はよくあるパターン
・外進生(高校からの入学者)は山形大や岩手大に 受かればよくできたとされる部類
・文系、理系ともに※B組なら山形大、岩手大に受かればよくできたとされる部類

※高3は模試などの成績でクラスを習熟度別に編成
(A組→看護など B組→文理下位 C組→文理上位)
高1、※高2では内進生と外進生はクラスは別
※高2は習熟度別で英語のみ同じ
高3からはクラスが交わる

このような現状を見る限り、学校の力や指導力が合格の要因というのは無理があると感じます。
結局、どこの高校に行ったとしても上手くいくような元々圧倒的な能力のある一部の生徒が毎年勝手に合格していっているだけのように思います。

学校が公開しているデータによると
〈令和4年度〉
【上位国立・医学科】   【上位私立】
東北大学→3名       慶應→1名
岩手医科(医学科)→※2名   早稲田→※1名
防衛医科(医学科)→1名   MARCH→※9名     

※岩手医科2名のうち1名と防衛医科の1名は
同一生徒の可能性が高いです。※私立は共テ利用や併願により同じ生徒が重複してカウントされている可能性が高いです。よって、恐らく延べ人数であり、人数というよりは合格した学部の数です。
先ほども言及しましたが、私が在籍していた頃から実質、上位6〜7名程度が(体感的に10名まではいかない)こういった上位レベルの大学に合格するようなイメージだと思います。
医学科は学年に1人いれば、、というレベル。
これでもこの年はいい方だと思います。


仙台二高との比較
〈令和4年度〉
【上位国立・医学科】   【上位私立】
東大→11名        慶應→8名
東北大→73名       早稲田→21名
京都大→3名        MARCH→81名 
大阪大→1名      
一橋大→4名
東工大→2名
医学部医学科→22名     ※現役のみカウント
→母数が異なるので単純な比較はできませんが、
このように圧倒的な違いがあります。
これが進学校です。


【おすすめする人】

私がこの学校をおすすめする人は
大体、以下の通りです。
1.どうしても部活がない学校に行きたい人
2.公立中、高でのいじめが心配な人
(地元の人と同じ学校に行きたくない人)
3.学校という足かせがあっても何の問題もない程
元から圧倒的に優秀な人
4.大学に入れさえすればどこでも良い人
5.あまり真面目すぎない人(物事を深く考えすぎないタイプの人)
6.極端に勉強習慣がない人
こういった方々にはおすすめなので、
是非検討してみて下さい。


スポーツ、運動が好きな人に進学コースは絶対におすすめしません。進学コースは部活もなければ、体を動かす機会が圧倒的に少ないので、精神的に
多大なストレスを感じてしまう生徒も一定数いました。

私が在籍していた頃も中学、高校(進学コース)ともに毎年各学年に、通えなくなって辞めてしまう人が数人いました。普通の中学生、高校生らしい生活を送りたい人にはおすすめしません。

学校説明会はどこの学校も良いことしか言わないので、絶対にそれだけで判断せず、実際に通っていた生徒や保護者複数名に聞いてみるのが一番良いです。良い口コミや評価だけを鵜呑みにせず、批判的な意見も参考にした方がよいです。私のイメージとしては、良い意見を言うのは基本的に、子供が上位の大学に受かった保護者(受かれば何でもいい)
あるいは、元々、そこまでシビアに結果を求めていなかったので無事それなりの大学には受かって安心した保護者のような気がします。

【提言】

私はこの学校を下げたい訳ではありません。初めに述べた通り、少しでも多くの人が納得のいく学校に進んでほしいです。毎年、学校に通えなくなる生徒は何人いたか?退学する生徒は何人いたか?なぜ
進学実績が上がらないのか?どうしたら状況が良くなるのか?それらの重要な問題に向き合うこともせずに「東北1の進学校に!」などと聞こえのいい
無謀な目標を立てて数字ばかり追う前に地に足をつけて現状の何が問題なのかを徹底的に分析するべきなんです。目標なんて誰にでも立てられるんです。
伝統や精神論にかまけていないで、生徒に真剣に向き合って、少しでも生徒の声を取り入れてもっと風通しの良い環境を作ることが最優先すべきことだと感じます。その後に目標云々がついてくるのではないでしょうか。

比較対象がズレているかもしれませんが、私は大学に進学して、灘、麻布、日比谷など全国区の強豪がひしめく様を実際に目の当たりにし、進学コースが到底足元にも及ばないことを改めて痛感しました。彼らに鉢巻や進研だなんてとても口に出来ません。こうした習慣が残っているのはかなり少数派だと思いますし、表現が適切かどうかは分かりませんが、
 6年の学校生活を通し、私自身の感覚としては 
「進学校ごっこ」のように感じました。
本物の強い「進学校」はそんなことやっていないんです。先生方は本当にそういう高いレベルのリアルな経験を元に指導されているのでしょうか。
勿論、長く教員として教壇に立ってこられた先生方のことは本当に心からリスペクトしています。
考えや価値観を否定するつもりはありません。
ただ、下着の色が決まっているとか、男女交際禁止だとか志望校を書いた鉢巻を巻いて生活させるといったような学校の体制は現代の教育環境ではあまり見られません。令和の世にそぐわない、世間から「ズレている」ということを認識、理解できない
時点で価値観が現代に合っていないと思います。



私は今でもある教員の言葉をはっきりと覚えています。生徒の学校に対する不満を感じ取ってか
ある時、彼は集会でこう言いました。
「勉強に捧げる青春があってもいいじゃないか!」
彼は大きな勘違いをしています。
私達は勿論、それぞれが目標とする大学への合格を目指していました。だからこそ、勉強が中心となる生活を送ることは理解、納得していたと思います。
別に勉強がつらいわけではありません。
勉強に一生懸命になることが嫌なわけでもありません。勉強という物差し、価値基準しか存在せず、
中高生、はたまた1人の人間として認められるべき
あらゆる自由を否定されたことが絶対に許せないのです。

【当時を振り返って】

私はこの学校を出てからしばらく経ちますが、
今も苦しく、本当に辛いです。思い出さない日はないです。何をしても楽しめなくて、生きることが
つらいと感じるようになったのは中学に入った頃からでした。世間的に良いとされる大学に受かっても、それが霞んで嬉しくない程にあの6年は地獄でした。毎日死ぬほど学校がつらかったこと。
朝、親に学校まで送ってもらう車の中で辛くて泣いて家に引き返したこと。
病院に行って薬をもらいながらも学校に通ったこと。朝も起きることができませんでした。
朝起きられないというと、どうしても
「意志が弱い」「怠け」と思われがちです。
でも、そういうんじゃないんです。
寝坊、寝過ごすとかではなくて、
シンプルに身体が「起き上がらない」んです。
どんなに起きようと思っても、どんなに怒られても
起き上がらないんです。
しかし、それが大学に入学してからは
自然と起きられるようになりました。
あの時のあれは何だったんだろうと不思議なほど
になくなりました。
特段、怒られて直ったとか、楽しいことがあるからとか、気持ちを入れ替えたとか、そういうのではないんです。
また、今でも鮮明に覚えているのは、高2の頃。
教室での周りの話し声や笑い声、咳払い、椅子を引く音、扉を閉める音など聞こえる音全てに耐えられなくて、席で震えていたことがありました。
どうしたら良いか分からないけど、
とにかくここにいたらいけないということだけは
分かっていて、この3階の窓から飛び出せば落ち着くのか、どうすればいいのかずっと考えていました。あの頃は本当に限界でした。
中1の頃から毎日朝起きると腹痛と吐き気がして、それでも今日は行こう!明日になったら学校を辞めよう!と頑張って、またその「明日」が来て。
ずっとその繰り返しでした。
その結果学校に通えなくなくなりました。
本当につらかったです。死にたくて仕方ありませんでした。後になって分かったのは、「適応障害」 だったようです。当時からどうも普通ではないな、おかしいなとは思っていたので自然と腑に落ちました。第三者目線で考えたとき、幼い中学生、高校生が毎日そんなにつらい思いをしていたと思うと
今も言葉になりません。具合が悪くなります。

ただ、この抱えるつらさを甘えだとか言い訳だとかで片付けられたくない、文句を言われたくないから
死んでも結果を残して誰にも何も言わせないと考えていました。きっとそれは今も変わりません。
国試の勉強も就職もその延長線。
勉強が好きなわけでも、世の中の人を救いたいわけでもないです。
死にたいけど今死んだら好き勝手にあることないことを推測で言われるんだろうな。
だから、人が簡単にできないことをやって
自分の存在価値を証明してから死んでやろうって。自分の意思決定を根底で左右しているの常にそれです。勉強は微塵もつらくなかったですが、
学校に通うことは本当につらかったです。
「楽しかった思い出もあるでしょ?」と言われることもありますが、勿論あったと思います。
ただ、自分の記憶が鮮明にあるのが大体6歳、
小学校入学頃からだと仮定すると宮城にいた18歳までの13年間の記憶の中で、実にその半分近い6年もあの学校にいたわけです。するとその嫌な記憶
ばかり覚えているのも仕方ないもので、
どんなに綺麗な色の絵の具がパレットに並んでいても黒1色で全てが黒に染まってしまいます。

宮城も古川も本当に嫌いです。
外の空気、街並み、実家の雰囲気、自分の部屋の窓からの風景。視界に入るもの、感じるもの全てが
辛かった時間や当時の気持ちを鮮明に思い出させるからです。極力、帰省はしたくないです。

【いま伝えたいこと】

これを見ている方には勿論、勉強を頑張ってほしいですが人間、勉強や学歴が全てではありません。
この言葉の意味を履き違えて努力しない理由にしてはいけませんが。勉強が出来る=いい人生が送れる
のかと言ったらそれは少し違うと思います。
勿論、その先で大学受験、就職で成功すれば
収入を高めることには繋がるかもしれません。
しかし、=幸せ なのかと言ったらそれもまた違うでしょう。だから、皆さんには目標に向かって
努力をする傍らで自分が楽しいとか幸せだと思えるようなものを見つけることも頑張ってほしいです。
そしてそれを大切にしてあげてください。

目標に向かって努力する中で、
まるでこれが自分の人生のすべてだ!と言わんばかりの熱量を注いでしまい視野が狭くなってしまうことがあります。それもまた若さ故の特権かもしれません。でも、時には思い出してください。
勉強が得意な人がいればスポーツが得意な人もいる
音楽、絵を描くこと、物をつくること、、、
人それぞれ得手不得手があります。
自分が好きな分野で一生懸命になれればそれでいいんです。必ずしもそれが勉強である必要はないと思います。私は学生を見かけるたびに悲しい気持ちになります。私たちにありふれた当たり前の学生の日常はなかったです。大人になって仮にどんなに金を稼いで物質的に豊かになろうとも、子供の頃の
精神的幸福や思い出は絶対に取り戻せません。

「何をするにも遅いなんてことはない!」なんて
言葉もありますが、限界があるんです。
若さというのは貴重です。
中学生、高校生の時にしかできないことがあるんです。何であれ経験するのにふさわしい時期というものがあります。友人、部活、恋愛など普通の人間が学生時代に経験する当たり前のことを経験せずに
歳を取った人間はどこか普通じゃない

閉鎖的な環境で 「勉強、勉強!」では
所詮井の中の蛙。例え勉強は出来ても人間的に幼いんです。だからこそ、皆さんには学生時代を振り返った時、私のように悲しい、辛い記憶ではなく、家族や友人との楽しく、温かい思い出で溢れていてほしいです。つらい時もきっとその思い出達がそばにいてくれるはずです。
人生自分の思い通りに行くことよりも、そうではないことの方が多いです。つらいことや苦しいことも沢山あって、もう無理だと思ってしまうこともあるかもしれません。生きていたら笑えるときが来るなんて保証はないし、綺麗事かもしれません。
良いことがあるかもしれないし、もっと悪いようになるかもしれない。
ただ、それも最後まで生きてみないと分かりません。つらいと思うのは決して甘えではありません。
そう思う自分の気持ちを認めて大切にしてください。命に替えられるものなんてありません。
つらいときは逃げてください
後悔のない人生なんてきっとありません。
だけど、少しでも後悔のない、自分が納得のいく
選択をしていってほしいです。
自分の人生の主導権は常に自分自身にあります
親がこう言うから、先生が〜、、周りが〜、、
あなたは誰のために誰の人生を生きてるんですか?
それは、自分の人生を生きているとは言えません。
受け身ではなく、主体的に生きてください。
「自分の人生を生きる」というのは、
「自分で選んで、自分で責任を取る」ことだと思います。他人に言われたまま生きるというのは、
自分で考えるのを放棄している
つまり、「他人の人生を生きている」ということです。親、家族、先生、友達、、、
関係性がどんなに親しかろうと、どこまでいっても他人という域を出ることはありません。
結局「他人」なんです。
彼らは好き勝手に口を出します。勿論それは自分を思っての言葉かもしれない。でも、その結果がどうなろうと責任を取ってはくれません。人の意見を聞くにせよ、自分で決断をして進むにせよ、その選択をするのは他の誰でもない自分なのだから行動や
人生の責任はすべて自分にあります。砕けた言い方をすればツケは全て自分に回ってくるのです。
人の意見に素直に耳を傾けるのも大切ですが、
時に自分を貫く強さも必要です。


これを見ている皆さんの人生が少しでも良い方向に進み、明るい未来が待っていることを心から願っています。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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