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アイスカフェラテと存在の香り

とても寒い日の夜は、ジャズを流したくなります。
そうすることで、心の中がほんのり温まるのを感じられるからです。
寒いのだから、本当は温かい飲み物にすればいいのでしょうが、暖房をしっかりとつけ、アイスカフェラテを用意します。
私にとっての最高の組み合わせであります。

ジャズと言っても詳しくはないので、You tubeでジャズで検索して良さそげなものを選ぶだけではありますが。笑
何にも期待しないで、ただ部屋を流れる時間を豊かにしてくれる音楽に身を任せます。
寒さで凝った肩甲骨を背中で内側に出来るだけ寄せ合い、しばらくしてからパッと離すとこれがとても気持ちが良いのです。
そうして少しずつ一日の疲れを取っていきます。
コーヒーの香りを味わいながら、耳には美しい音楽を。
今日という日がくれる贈り物。

昨日の夜、印象的な夢を見ました。
複数の友達に囲まれていた私は、諦めたように重い口を開きました。
「私はあなたたちが持っているようなものを持っていないの。何にも持っていないの。それに気が付いてしまったの。」
それを言ったらおしまいよ、という空気が流れていました。
私が私と友達の間に線を引いたのをそこにいる全員で見たという感じでした。

目が覚め、出かける準備をしながら、ずっとその夢のことを考えていました。
私は何もないと思っていたんだ、自分自身で。
私は何も持っていないと思っていたんだ。
ずっとそういう風に思っていた自分がいたんだ。
そんなことを考えながらいると、
「あなたがある」
という声と言えば声、思いと言えば思いのようなものが胸の真ん中あたりから出てきました。
私は「え?」と一人しかいないのに、自分に聞き返すように反応し、そして、またその声のようなものを待ちました。
「あなたが在る」

無いではなく、在る。
あなたが、いるということではなく、在る。
存在としてあなたが在る。

私は、「私が在る」と心の中で唱えました。
すると胸のでぼうっと小さなあかりが灯るような気持ちになりました。
そしてもう一度同じ言葉を唱えると、内側が外側と反転するような感覚になりました。
そして思い出したのが、井筒俊彦さんの「存在が花をする」という言葉でした。
花が存在しているのではなく、存在が花をしているということです。

花が美しいのではなく、美しい花がある、と言ったのは誰だったでしょうか。
その辺、ぼんやりとしか覚えていないので、誰が言ったか忘れてしまいましたが、すべてのものはエネルギーで、それがこうして形になって表れているということで、世界に一つとして同じものはないということを伝えているのでしょうか。

「私がいる」と唱えてみましたが、「ある」と「いる」では感じ方が違いました。
「いる」だとただ場所との関係性で、「ある」だと私の全てがそこに存在することを肯定されているような気持ちになりました。

私が在るということを忘れていたから、私は何も持てていないと思ったのではないだろうか。
在るのに無いという傲慢さ。
人間は簡単に忘れてしまいます。
人間はそんな生き物です。笑

不覚にも忘れてしまった大切なことを思い出すために不思議な夢を見たのかもしれません。
一切は空であり無である。
しかし、この瞬間私が感じたものは私にとって紛れもなく有である。

いつまでも答えの出てこないことをぐだぐだと考えるはとても面白いです。
温かい部屋で、ジャズを聴き、アイスカフェラテを飲みながら、思いを馳せるこの瞬間の伸びやかな気持ちはこの上なく喜びです。




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