キャンバスと幸せの香り
空を見上げるとそれはとても心が解放されるような水色で、その前には鮮やかな黄色に染まったイチョウが目に飛び込んできました。
なんて色の組み合わせなんだろうと、冬の冷たい空気の中で思いました。
寒いけれど、幸せと思える色の組み合わせです。
そのぱっきりとした色使いに自然の采配のすばらしさを思わずにはいられません。
美しい景色がそこにあるという幸せ。
それを見つけられた喜び。
この瞬間を忘れないでいたいと美しいものの前では常に思います。
感動しながら、どこか頭の隅で、あぁ忘れたくないと思っている自分がいます。
そんな美しい瞬間と言うのは自然との間にだけ生まれるわけではなく、人との何気ない瞬間にも生まれたりします。
こういうものは本当に何も意図してない時ほど起こり、それを期待すると起こらないということを経験上わかっているので、本当に予期してなかった時にそこに現れます。
例えば、誰かの知らなった一面を見たりした時にそれは起こったりします。
普段つかめていなかったその人物の意外な一面に触れた時に、こんな一面があったんだと思うのです。
実はこういう信念がある、とか、実はこういう言葉が好きだ、とか、実はこういう目的があって行動している、とか。
多層的なその人の私が知っている層よりさらに一段、二段下の想いを知る時、私の心は打たれます。
そうして、人は美しいと思うのです。
まるで、椿の花のようにバラの花のように人というのは多層的に出来ていると思うのです。
そして、私はまだまだその人を知らないということを思い知らされるのです。
私が知っていたのは、ただの表側の一枚、二枚の花びらに過ぎなかったのだと。
友人がとつとつと語り出したり、家族が想いを吐露したり、憧れの人の悲しみを見たり、若い人たちの野望を聞いたり、好きな人の胸の内を知って、それがまた私のキャンバスに色を付けていきます。
あぁ、自分のキャンバスは自分が思ってもみないような絵になっていると思いながら、けれど、自分が描けると思っていた絵よりも実はずっと良い絵になっているような気がすると思うのです。
同じ絵を同じ色を使ってもう一度描けと言われても、もう描けません。
もしかしたら、誰かの知らなかった一面を見るというのは、その人のキャンバスをちらっとのぞかせてもらえてるということなのかもしれません。
その人にしか見えない絵を、ちらっと私もつかの間見せてもらっているということだから、貴重であり、こちらの心を打つのでしょう。
幸せな瞬間と言うものの一つにこのような自分たちの描いてきた絵を見せあうということがあるのであれば、その時に優しく静かに笑い合えたらそれはどんなに幸福なことかと思います。
そこには幸せの香りが漂っているに違いありません。