①選手としての歩み

こんにちは。
一匹狼の卓球コーチです。

今日は私のことを書こうかなと思います。

性別も分かりにくい名前なのでどんな人生を歩んできたのか少しでもわかってもらえる記事になるよう書きます。

先に伝えておきます。
かなり長い記事になるので投稿を分けます。笑


私は5人家族の末っ子に産まれ、私以外の家族や親族誰も経験者はいません。

卓球するまでは色んなスポーツをしてきて

器械体操、水泳、陸上など

球技問わず常に身体を動かすことをしてきました。(これが後に柔軟な身体や運動神経にプラスされます)

そんな中、どうして卓球をすることになったかと言うと、小学校2年生の秋頃当時は習い事をしておらず、親はスポーツをやらせたかったみたいで複数のスポーツから選んで決めたのが卓球と言うわけです。

練習量も週に2回の2時間程度。
強豪クラブチームとは程遠い量ですね。
最初に渡されたラケットは

ペンホルダーでショートが全くできず、打球すると天井に打ち上がると言うホームランのような球筋

センスのかけらさえありませんでした。

(今でもその光景が思い浮かびます)

3ヶ月か半年後にシェイクハンドに変えられてラバーは裏裏のマークファイブかスレイバーだったと思います。

習い始めは練習より休憩時間にする鬼ごっこが好きでのびのびやってました。
今の小学生を見ていても一緒の光景なので当時の気持ちがなんとなくわかるような気がします。

次に当時の実力は

ホカバ予選でベスト8に1回入っただけです。

予選ですよ。
下手くそも良いところです。

もっと酷いことを言うとホカバ予選と言うものすら知りませんでした。

ホープス団体予選では2位になり地方の試合に出れるのに

行きたくない

といいなぜか断りました。
当時の自分は謎だらけです。

やる気が全くなく、卓球が嫌いだったんでしょうね。

それなのに強豪校に行くことになります…

指導者の方から推薦の話があり、行くことにしましたが理由が

地元が荒れていて行きたくなかった

だけです。

卓球を頑張りたいと言う理由がないんです。
今となれば恥ずかしい話ですね。

その上、中学入るまでピンポン同様、

回転なんて分からないし、ドライブさえ知りませんでした。


クラブチーム代表の指導者は

インターハイダブルス優勝経験者

でしたが指導力はミート打ちと決まった練習しかしないなんとも言えない指導でした…

強くなりたいと全く思っていないので親の反対も当たり前であったのですが

一度決めたことは最後までやり遂げる!

と何故かそう言ったようで、浅はかな考えで強豪校に入ることになります。
(その頃は何にやる気があったのか聞きたいですね笑)


中学高校は一貫校の名門校で私の実力では入れないような学校でした。(クラブチームの指導者のコネで入ったようなものです)

その学校は寮がなく1時間程度で通学していました。

雰囲気ですがみんな仲良い反面、強くなりたいのは一緒でピリピリした雰囲気で練習をしています。
特に高校生たちは結果も出しており厳しかった印象が残ってます。

そんな雰囲気で練習もしたこともなく、

実力は下から2番目か1番目…

課題練習・ナックル・横回転・
ドライブ

と言うものも初めて知りました。

初めてのことだらけで私の性格上、社交的でもないため馴染むまでかなり時間がかかりました…

同級生は同じクラブチームの人がいたり、すぐに馴染んでいたので置いてけぼり感があり、大変でした。

私も同じクラブチームの人は在籍していたのですが、私が中学1年生の時はその人は高校3年生です。
あまり関わりがなく、内気だったのでなかなか声もかけづらかったです。

そんな私なので口数も少なくいじめの対象にもなって辛い時期が2年ほどありました。

辛くて呼吸がうまくできない、笑顔で話せない、帰りの電車は泣くか寝るかのどっちかでした。

助けを呼ぶこともできず周りに相談する勇気もありません。
同級生も同じように無視したり、時にはいじめの加担をしていました。
コーチや顧問も助けてはくれません。
現状は誰も改善してくれませんでした…
(この状態が続けば普通は休まないと精神的に病気になります)
いじめの内容を言うとバレてしまう場合があるので触れませんが笑

ですが、

この辛い時期は社会に出た時にとても役に立ちます。

そんな辛いこともありましたが、必死に食らいつくだけで球に慣れ、

小学生の頃対戦し負けていた人に勝てるようになっていました。

ですが、人生の転機となるのは強豪校へ入学時ではありません。

中学2年生の春です。


一旦ここで終わります。
まだ半分も書けていません。笑

次の記事の投稿を楽しみにしてください。

一匹狼の卓球コーチでした。

○追記
異質ラバーに変えたのは中学1年生の夏頃です。
ドライブが全くできなかったので最初は一枚ラバーから始まりました。
ドライブができないと言うより教えてもらえなかったのでできなかったと言うことになりますね。笑

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