詩集『青春』 第三章 記憶の光景 作品19〜作品23
【作品19】 六月の少女
生まれ落ちてから
幾つの哀しみを知ったのか
膚の透き通った
身体から甘い匂いを漂わせる
長い髪の少女よ
力なく揺れ動く黒髪に
ふと顔を上げて
おとがいに作られた
青白い陰
だまされて女になった日の鮮烈な記憶
部屋の窓から見えた
雨に濡れた木の葉の
絶えず動くあざやかな緑
●一九七一年 六月 溜井昭子に ◇溜井昭子はのちの女優・水沢アキ。
…………………………………………
【作品20】十一月の少女
おんなよ
ぼくがおまえに抱く焼けつくように熱いこころを
おまえは知るまい
朝鮮の血脈に生まれて
朝鮮の衣裳を着て育ったおまえ
夜更けの路面電車に揺られて
どこから帰ってきたのか
今日一日の勤めはつらかったろう
おまえの恋人は
今夜もおまえをやさしく抱いてくれたか
重くのしかかる生活のなかで
生きる日常の臭気になれて
愛の喜びに満ちた金色の針は
驟雨となっておまえの世界に降りそそぐのか
あのころの
花模様の刺繍で縁どった白いハンカチを握りしめ
愛らしく笑って駅のホームにたたずむ
まだ高校生だった
化粧の仕方も知らず髪の手入れも
女らしい心理も知らなかったおまえ
そのころの僕の垢に汚れた学生服
そのころのおまえの重そうな黒いカバン
父はだれであり
母はだれであり
おまえはだれであり
おまえたちがどう生きていたか
僕がなにかを知っていたわけではない
だが おんなよ
熱いこころはいとおしみをないまぜて いま
お前の揺られる電車の振動に
僕もまた揺られている
そう 僕たちは愛すべき隣人だ
名も知れず
視線に花束の思いをこめて そっと
他者の世界に投げキッスを送る
ときどき 僕たちは同じ電車に乗り合わせ
読んでいる雑誌の片隅から視線を上げて
明日はなにを着ていこうかと考える
明日の仕事もつらい
明日も今日までとまったく同じに
日々は変わらず過ぎていくのだろうか
電車のブレーキが音をたててきしみ
そのやかましい金属音に
異物をはめこまれた心理の生殖器
おんなよ
おまえの膚の匂い
これから先もずっと他人のままで
夜風に髪をなびかせて
駅の改札を抜け
闇のなかへ
深い闇のなかへ
●一九七一年 十一月
…………………………………………
【作品21】 青
ひとよ
あなたの孤独はなに色であるのか
わたしが夜更けに目覚めて思うこころは
青く濁った鉛の結晶に似て
やわらかく手ごたえある重い孤独だ
そして
それはあなたがけして言わなかった
いくつかの言葉に
とてもよく似ている
●一九七一年 八月
…………………………………………
【作品22】 十月二十一日 夜
一千九百六十九年十月二十一日
夜
騒乱の雨の新宿
デモの渦中に取り残されて
なぜ戦えないのかとうつむいた路上で
白く光る象牙の判子を拾った
(田中)
覚えのある名前だった
先日 盛り場でばったりあった
古いなじみのガールフレンド
来年の三月 勤めを辞めるという
結婚? とたずねたぼくに
寂しそうに笑って なにも答えなかったあの人に
この判子をあげよう
●一九六九年 十一月 ◇10・21の日の夜、新宿の雑踏でデモ隊にもまれながら、[田中]というハンコを拾った。[田中]は田中慶子。高校時代の同級生である。
…………………………………………
【作品23】 革命の朝
ほとんど明けかかった夜の街に
うすねずみ色の雪が降りつづいて
酒場を追い出されたおれたちは
十一月革命のモスクワの朝のように
だれもいない盛り場をならんで歩いた
友よ あのとき
黒いレインコートの襟を立てたおまえが
レーニンだったとすれば
いったい おれはなにものだったのだろうか
ロシア革命に巻きこまれて敗れ去ったもののうちの
おれはだれだったのか
●一九七一年 二月 青木明節に。◇青木明節は職場の同僚の編集者。 漫画家の白土三平の義理の弟。理路整然とした人だった。
〇ここに詠まれている詩篇は、大学四年生から出版社に就職した前後に作った作品。就職先はかなり自由な雰囲気の会社だったが、それでも、そこに精神的に適応するのにかなりの苦労があった。簡単にいうと、なかなか学生気分が抜けず、編集部では十代のアイドルたちの原稿を書きながら、家に帰るとハイデッガーやレヴィ=ストロースの本を読みふける、というような二重構造主義の日々がつづいていた。