本の記憶。『ドリトル先生航海記』
自分のなかの読書体験の原初の記憶をたどろうとすると、わたしの場合、この本にたどり着く。小学校二年生だとすれば、昭和30年のことである。
『ドリトル先生航海記』。
この本に初めて出会ったのは、たぶん、小学校二年か三年、8歳か9歳のころ。
わたしはまだ、長野県の伊那谷の小学校にいた。天竜川沿い、下伊那郡川路村川路小学校。いまは飯田市に併合されている。クラスの担任の先生が授業時間の合間に教室で朗読して、聞かせてくれた。そのときに読んでもらい、なんて面白いんだろうと思って、あとから図書室から自分で借りて読んだ。生まれて初めて本が好きになった。本好きはこの本がきっかけである。
この体裁の『ドリトル先生航海記』(ヒュー・ロフティング著 井伏鱒二訳 岩波書店刊)は昭和36年10月発行ということだから、オレが出会ったドリトル先生はこの仕様の本ではないと思うが、本の形をはっきりと思い出せない。
とにかく、ドリトル先生が南洋や熱帯を自由に旅して動物の言葉を話せる博物学の博士だったということと、博士がキッチンで焼くソーセージという食べものがどういうものかイメージできず(昭和31年である。このころ、まだ田舎にはソーセージというものも出回っていなかった)ソーセージというのを食べてみたいと思った。また、こういう話の書ける小説家になれるといいなと子供心に思った。博物学博士になりたいというそのころの夢は、いまでも蝶のコレクションをしているという形で、残っている。この頁がその場面。
ドリトル先生の話で本が大好きになり、そのあと、南洋の熱帯を舞台にした小説、子供向けに書かれた『ロビンソン漂流記』や『スイスの家族ロビンソン』、『十五少年漂流記』などを繰り返して何度も読んだ。
子供のころ、多分8歳。65年前の日記帳のなかの『ロビンソン物語』の読後感想文。字も汚く、最悪の出来。それでも先生が褒めてくれた。たくさん本を読め、と書いてある
わたしに本を読むことの楽しさを教えてくれたのはそのときのクラス担任で木下進という若い先生だった。わたしはガキのころ、素行は悪く行儀も悪くて忘れ物ばかりする問題児だったが、不思議なことに学校の成績は優秀で親にも先生にもその不均衡が最大の問題だった。小学校3年のおわりに父が商売に失敗し、家業を整理して一家で上京したのだが、そのときに木下先生が餞別にくれたのが下の本。『沈黙図書館』のA級保存品である。
『作文事典』。いい文章の書き方を丁寧に説明している。『小学五年の学習』という雑誌の付録だった。紙が劣化してボロボロになってしまったが、いまも大切に保存している。故郷を出奔する日、こっそり先生のところに挨拶に行くと別れの間際に「しっかり勉強していい子になりなさい」といわれて、この本をもらった。いい子になれたかどうかは自分では分からないが、勉強はいちおうしっかりやったつもりでいる。
「文のつくりかた 組みたてかた」という頁
大人になってから、生まれ故郷に旅行する機会があり、そのとき、先生の行方を捜したのだが、はっきりした事実関係を忘れてしまったが、病気で若死にされていた。それももう50年以上前の話である。先生とはあの別離以来、けっきょく会えずじまいだった。木下先生がどういうつもりで、この本をわたしにくれたのか、これからたくさん作文を書きなさいというアドバイスだったと思うのだが、わたしはその言いつけを守って、いまも作文を書きつづけている。
65年前に出会った、オレの人生を変えた、忘れられない本である。