詩集『青春』 第四章 約束の日 作品29〜作品31
【作品29】 夜の恨み
にんげんよ
永劫に不幸であれと
きわめて高い声で
いま わたしは叫ぼう
世界は新鮮でなくなれ
わたしの
夜を迎える深い恨み
閉ざされた物語の扉は
もはや 開かれることはない
わたしのなかの
裏切りへの深い憧れ
倫落の淵に垂らされた
重い錘鉛
人間たちの傷は
だれも同じように
赤い血を流すのだろうか
少年のころ
わたしはむしろ
なにも尋ねない子供だった
この世のことなど
なにも知らなくてもいいと
本気で考えていたのだ
自らの手で積み続けた
おのれの精神の
歴史のなかで
血にまみれた
わたしの心理
ひそやかに
ひとよ あなたがたは
永劫に呪われてあれと
きわめて低い声で
わたしはささやこう
わたしの属する世界は
滅びよ
わたしのなかの深い恨み
永遠に明けない夜の
ああ 血塗られた
心理の恨みよ
●一九七一年 十月
………………………
【作品30】 愛の日々に
ほんとうに生きようと思ったことはなかったか
大きく吹く風に逆らって輝く太陽を凝視して
きっぱりと生きていこうと決意をした日はなかったか
こころは喜びにあふれ
わけもなくたわんで張りつめ
たとえ
大いなる苦悩のなかにあっても
生まれてきたこと生きたことを
けして
後悔しないと思った日はなかったか
ああ 禁じられたひとつの言葉
けして 口にするまいと誓った苦々しいひとつの言葉
こころは体験にしばられて
重く記憶の淵に身を淀ませているが
かって わたしにはあった
正気ではとても言えないような
明るい価値ある言葉を口にして
本気で 夜明ケハ近イ と思ったことが
ああ 幻の【革命】よ 本当のところ
夜明け間近なのか夕暮れなのかわからない
いまは
薄暗い心理の部屋に閉じこもってただひとり
かって
本当に生きようと思った日々に
わたしはみずからの太陽を
中空に停止させることさえできた
その時
わたしは万能だった
彼方を指さして大声で叫ぶことができた
いま
錆びついた心理の密室で
雄弁に語ることを諦め
世界はほの暗く悲愁に満ち満ちている
空に向けて投げあげた花束
恋愛の記憶
逃走の歴史
愛しながら別れた恋人と
ついに行く道を分かった多くの友人たちと
もはや会わなくなった馴染みの人々よ
たしかにわたしの 青春の終わりは近い
そして
新しく始まる物語の序章を
わたしはまだ書かない
だれか言ってくれ
あのとき
愛の日々に
わたしは
たしかに
生きていたと
●一九七三年 ・月
………………………
【作品31】 挽歌
人よ もうじき秋だ
いや まだ秋の訪れは遠いが
すでに
心のなかに訪れてしまった季節の
ものの滅びの手ごたえある重さを
いったい
どうすれば良いというのだ
そう いつも世界はそうやって
ぼくたちもそうやって
滅びてきたのだと
古代史の分厚い本の扉をあけて
どこかページの片隅を指さし
ほら 人間はいつも
こうやって滅びてきたと
指さしてみせてもいい
あるいは
日に焼けて古びた謄写版刷りの
十年も前の
中学校の住所録から
既に鬼籍に入った
クラスメイトの名前を
羅列してみせることだって出来るだろう
村上 京子 一九六一・五・十五 自室にてガス中毒死
中谷 猶樹 一九六二・三・二四 実の妹と伊豆で心中
武内 強 一九六二・四・三一 那須高原にて遭難
大村 文彦 一九六五・八・二六 多摩丘陵にて溢死
北 智枝 一九六八・十二・四 パリにて交通事故死
隈田 博数 一九七一・一・十九 K岬にて投身自殺
高橋 末照 一九七二・十・〇八 咽喉癌にて死亡
この調子で
古い順に死者たちの名前を一人づつ
列挙してみせようか
彼らの無念の思いを
例えば 太宰治の引きちぎられた一ページや
飲みかけの睡眠薬や
血のにじんだミシュランの地図と一緒に
どうすれば 記憶の壁に全てを塗り込めて
葬り去ることが出来るというのだろう
たとえば早春、まだ雪の溶けない那須高原に 夜行列車で旅立ちふたたび帰らなかった武内
三年後の真夏に奥深い谷間の底で
白骨死体で発見された
大人になったら探検家になりたかった
《同じ大学に受かったね》と嬉しそうにいった少年の 最初で最後の冒険を
たとえば
端正な女文字で僕に
《日本に戻ったら会ってくださいね》
文面の末尾に《愛をこめて》と書き添えた
香水のにおいのする手紙をくれた
ソルボンヌ大学哲学科の留学生
北智枝の不慮の死を
たとえば
三歳の娘を小児癌で失い
すぐに自分も喉を癌に冒され
声が出なくなってしまった
早稲田大学文学部西洋史学科助手
高橋末照の声なき叫びを
クラスメイトのあいだに大変な興奮を巻き起こして結ばれた
彼の妻の
ひとり残された地獄の日々を
戦いの戦列のなかで
かれほど革マルの白いヘルメットが
似合うヤツはいなかった
隈田
残された遺書を彼の両親は
ぼくたちについに見せようとしなかった
かれらの消し難い無窮の執念と無惨な肉の滅亡
死を前にして語られた言葉と
言わずに残された心の内奥の
苦渋とを
どうすれば
忘れ去ることが出来るというのだろうか
どうか言ってくれ
それは
宿命であるのだと
それでいい
おまえたちもまた
潔く滅びるがよいと
八月の
まばゆい光を浴びて
死者たちのために
高らかに歌った弔いの歌を
死者たちの魂のたかぶりを鎮めるために
その歌を
挽歌をたからかに
もう一度 ぼくたちのために歌ってくれ
やがて訪れる
まほろびの予兆あふれるほの暗い
闇の世界で
人間たちの愛の終わりの日々が
人よ
それはまことに宿命であったのか
この問いに
だれも答える必要はない
ただ
傷ついて血を流し続ける
心のなかの柔らかな部分が
ぼくにいまでも問いかけるのだ
どこへいくのだ
どこへいくのだ、と
●一九七三年 八月
………………………
詩集の最後の部分につづきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?