『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年
昭和30年代から40年代にかけての日本社会の発展、変容について語るとき、必ず引き合いに出される、定番的ないくつかのことがらというのがある。まず、一番ひんぱんに登場するのが昭和31年の経済白書のなかの「もはや戦後ではない」という一節と、同時期に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことだ。このふたつはとにかくわかりやすくて、時代がガラッと変わったことを説明するためにセットになって登場することが多い。わたしもすでに、第3章と第6章の2箇所でこの話を使っている。
それから、皇太子殿下(今上天皇)のご成婚とテレビの受信機の急激な増加、これに女性週刊誌の登場も付け加えられて、女性が文化のメインストリームに流れ込んできた風潮を語るために、これらのことが語られることが多い。さらに、昭和35年の安保闘争の終焉とそれとほとんど入れ替わる形で劇的に始まる所得倍増計画、岸信介から池田勇人へのバトンタッチも昭和30年代の高い経済成長を背景にした豊かな社会への成長と、生活の豊かさの実現を暗示、あるいは明示しているものだ。
これらのなかにあって、同様に戦後昭和の急激な社会変貌を語るために持ち出される、一転して苦渋にみちた、悲惨なと書くより仕方のない数字がある。それが、日本の映画産業の年次の観客動員数である。いま、わたしの手許に昭和48(1973)年版の『映画年鑑』があるのだが、そこにはピークであった昭和33年から昭和46年にかけて、13年間の映画を映画館まで見に行った人の数を集計した一覧表が載っている。一応、これをとなり頁に引用参照しておこう。
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