見出し画像

案外みんなそうなのかも。嘘で構成された世界。

僕の尊敬する人が、「人が好きだ」と、そのままに言っていた。
音として発した訳ではなく、SNSでだけど。
自分としては、「絶対嘘だろ」としか思えなかった。
そういう歪んだ認識を持っているのは、自分が、どうしても人を好きになれないからだった。

「どうしたら見てもらえるのだろう」、「どうしたら読んでもらえるか」というのは、自分にとって永遠の課題であり、永遠に解決できない問題で、永遠に達成されない目標だ。
そりゃ、自分語りというのは、もう本当に、見ててつまらない、読んでて苦痛なのは分かっている。
自分が一番。
他人に興味ないから。
「そんなの知らねぇよ」のオンパレードなのである。
でも、もしもこれを読んでくれて、何か共感してくれて、何か反応があったとしたら、特に何も思わないけど、「ありがとうございます」程度には嘘を付ける。
そういう嘘をつきたいと思っている。
別に仲良くなったりしたくないので、その程度の嘘をつくのにすら躊躇してしまうのですが。

でも、もしもこの世界が、そういった嘘が当たり前の世界だったなら、それは残酷な世界かもしれないけど、同時に分かりやすい世界なのかもな、と思った。
世界は、そういった嘘を、まずは最初に撒き散らかして、そこから気に入ったものをピックアップしていくような世界なのかもしれない。
そういう仮説がよぎった。

そう考えてみたが、そうだったとして、結局、自分はその巻き散らかされた嘘に踊らされてピックされない側の人間なのを思い出して悲しくなった。
それが常に念頭にあって、こんな自分がいきなり「会話した~ひぃ」みたいな事言ってもですよ。
そもそもピックされない側の人間がそんな事言ったってどうにもなるまいという話だった。
自分からプンプンと放たれる異質さに拒絶される事請け合いなのだった…。

なんか、ひょっとしたら、「世界簡単かも」と思った自分がバカみたいだ。
悲しくなってきた。
嗚呼、嘘は自分を救う。人を掃き捨てながら。

「嗚呼」って、なんでそんな漢字になったんだろうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?