心理状態の深度に伴う一人称の変化。
投稿を始めて、自分の文章は、急に厳かになったり、かと思えば砕けたり、「そう思う」を多用してふんわりとなったりするし、かと思えば断定して、そうだと言い張ったりする。
そういうチグハグさが不自然に感じられたりもするのだけど、そもそもどうしてそうなってしまうのかをよく考えてみた。
自分が良く使う一人称。
「俺」と「僕」と「自分」。
この三つを、自分は切り替えて多用しているし、それを使う際、なにか自分に向けていたり、人に説明しようとしていたり、ちゃんとしようとしていたりして、何か、まだ完全には把握してはいないが、そういう心理状態の変化で自然と変わってしまうようだ。
「自分」。
最もトラディショナルで、厳かな心理状態だと思います。
きっとこの一人称の時は、敬語が多い事でしょう。
そして、「トラディショナルだ」という事は、最も安定していて、絶対的に自信がある時に使う傾向があるのかもしれません。
あるいは、すでに答えが出ていて、後はそれを言葉に落とすのみの場合かと思われます。
そういう自信の表れか、答えがあっての安定があるのでしょう。
「僕」
最もか弱く、自信が無い。
ひょっとすると、間違っているのかもしれない。
そういう不安定さを持っている。
不安定で、答えも定まっていなくて、何もわからない。
ポエミーで、感傷的に見える事もあるかも。
そういう心理状態。
「俺」
最も荒々しい、野性的な自分。
俺は俺でありたいという強い願い。
俺は、自分の事を、全てさらけ出す時に使っているはずだ。
俺は、この世界に俺しかいない。
俺が正しくあって欲しい。
でもそういう訳にもいかない。
必ずしもそうではない。
だから、それを撥ね退けたいんだ。
こう書いてみて、意識して無かったけど、自分にはこんなモードがあったんだなって、不思議に思ってます。
今後も良い感じに使い分けていくかと思いますが、あんまり意識しすぎると人格そのものが破綻しそうなので、あんまり深追いするのはやめとこうと思います。
それでは。
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