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なんでも食べられると思ってたら、何食べても味がするだけでした。

嫌いな食べ物が特に無い。
「それは良い事だ」という様な気がしていたけど、「モノの区別が出来ていない」と解釈するとなると、それはそれで問題な気がしてきた。
興味が薄く、鈍してるだけというか。

そこまで卑下する必要も別に無いのだろうが、自分のそれは、食通の持つ豊かさとは真逆である事も、また感じている。
今日、スーパーの惣菜の、ふきの煮物を食べた。
完全に時期じゃないというのはあると思うが、別にふきの味はせず、なんとなく甘辛く、食感があるだけだった。
なんとなくふきと油揚げを一緒につまんで食べて、食感があり、美味しかった。
でも、「別にふきじゃなくて良くないか」と思ったのだ。
ふきの味なんかしないのだから。

「ふきの煮物は渋い」と思うかもしれないが、本当は別になんでも良くて、「ポテトチップスよりは塩分も低くて健康に良さそう」と思うからそれにしているだけで、別にふきの煮物じゃなくても良かったのかもしれない。
ただ、筍のコリコリ感よりかは、ふきの染みた感じの気分だった。
染みていたなら、今思えばえびしんじょでも良かったのかもしれない。
そっちは安くなってたし、そっちの方がむしろ良かったかも。

そういえば昔、きのこ汁というか、きのこを全部食べたくなって、舞茸、椎茸、なめこ、ブラウンマッシュルームに適当な量の白菜と鶏肉を入れて、適当に油と水と白だしか麺つゆかどっちかを入れて20分ぐらい煮たものを作ったことがある。
見た目は人に見せられないほど悍ましかったし、壊滅的な味がした。
なめこでドロドロになり、糸の引く、薄黒く茶色い、なんだかよく分からない物体がそこにあった。
特に割かずに入れたブラウンマッシュルームは凶悪だった。
普段気が付かない、誤魔化されているきのこ特有のエグ味と酸味が直撃して、それはしんどかったが、経験としては非常に有意義に感じたし、それが楽しくもあったから、完食できた。
だが、その時から自分は本当にきのこの味が好きなのか、疑問に思う様になった。
自分は結局、今まできのこの美味しい部分だけを美味しいと思い、食べていたのだと気付いた。

きっとふきも同じで、それそのものを食べて美味しいとは思えないのかもしれない。
本当は肉をずっと食べてたいのかもしれない。
そういう事もよく分からない。
でも、それはそれとして、別になんでも食べられるのだから、身体にいいものを摂った方が得だと思ってる。
そういう損得勘定だけで食べ物を決める事が、豊かなのかは分からないが、便利ではある。
ただ、自分には、ひょっとすると、シェフから提供された料理に対して、ただ美味しいとしか思えず、細かな季節感や食材のマリアージュ、国籍感などといった機微など感じられないのだろうと思った。
知識が無いのはそうだし、味も大して分かっていないのだから。

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