性格診断に書かれる「よく友達に言われる」という難題。
皆さんは性格診断、MBTI診断好きですか?
「僕は別に好きじゃありません」とか斜に構えちゃったりしたいのですが、本当のところ、結構好きです。
なぜなら、自分という存在が、無理矢理にでもカテゴライズされる事に安心感を覚えるからです。
自分自身が何かしらのカテゴリーに属して、「そういう傾向がある」とされる事で、なんとなく自分を知れたような気がする。
そりゃ、友達がいて、その友達に「こうだよね」って言われる方が、より正確で、嬉しいのかもしれないけど。
過去に自分にも、友達がいなかった訳ではないと思う。
そういう人達と「お前、こうだよな」とか、「お前らしいね」って言われる事なんかほとんど無かったし、言われたとしても、それはなんか自分が頑張って演じた自分の姿のままを言われたりしていて、面倒くさいのは百も承知だが、本当の自分の姿を一つも見られていない事に悲しみを覚えた記憶しかない。
自分は、こんな深度でしか、友達を作る事が出来ないのかと、悲しみを覚えた。
でも友達というものが、そんな程度のものなら、それは仕方のない事だとは思うが、だとしたら、友達はいらないと思う。
それに、そういう自分も、大した深度で友達を見てなかったし。
「こういう人かも」と思った事も、結構相手が演じた姿だったのかもしれないし。
そういう所から、僕は性格診断にある「友達によく言われる」という言葉に関して、いつも疑問に思う。
自分が演じた自分が自分なのか、演じていない、心の底からのワイルドすぎる自分が自分なのか、はたまた人は自分のどこを見てそう思ったのか。
演じた所を見て演じたまま感じてそう言ったのか、演じた自分を見切って、演じた先の自分を想像して、そう言ったのか。
そもそも自分は演じられているのだろうか。
演じられるほどうまく反応できたことがあっただろうか。
そう考えると、案外「演じた自分」なんてもの、あってないようなものなのかも。
だけど、その友達も、もう何年も会ってないし、その時だって、自分やその友達の在り方も違っただろうし。
結局のところ、今現在、僕の事を見て僕の事を言ってくれる人はいないって、ただそれだけで終わりだ。
友達がいないから、自分を知るために性格診断をやろうとしているのに、その性格診断から友達にどう思われてるのか訊かれたら、自分としては本末転倒が過ぎるなとも思ったりします。
こういう事を延々と聞かされる友達は、きっとかわいそうなので、僕に友達がいなくて正解だったのかもしれないですね。
僕は寂しいですが。
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