犬は好きなのに人間は嫌いなんですか?
まず、大前提として、僕は人間が嫌いなわけではないです。
「嫌い」という感情が、「好き」の裏返しであったなら、嫌いとも言えるのかもしれませんけど。
僕は人間に興味が無いだけなんです。
人間を好きになりたい気持ちはあるんです。
「人を好きになる努力をしなさい」とはよく言われるし、よく書かれてるし、コミュニケーションのやり方を検索すると大体そういう結論になる。
だけども、人は、僕が人を好きになる努力を手伝ってはくれないのです。
だって、僕がいちいち細かい所でコミュニケーションに失敗する様を、あなたはいちいち許せるほど余裕があるでしょうか?って、そんな話でしかないからです。
だから、仕方ないのは分かってます。
でも、それだから人を好きになる事が難しい。
犬は単純です。
嫌なら吠えるし、噛む。
良いなら「more」と動いてくる。
犬には「良い」と「嫌」があり、その先に「我慢」と「無理」がある。
人間だって、行動原理はこれと同じはず。
だけど、人間は「我慢」に値する為の想像力があまりにも豊か過ぎて、それ故に難しく、難解になっていると思う。
人間は、百年後の生態系の為に我慢することが出来る。
無機物の気持ちを考えて我慢することが出来る。
相手を殺すために我慢することが出来る。
統計、気候、擬人化、洞察。
そういった所から、限りなく未来を見る事が出来るようになっている。
人類の英知が、時折人間自身に、ゆっくりと、それはもうゆっくりと刃を突き刺しているようにも見える。
英知は、正しかったのだろうか?
そういう事を問いても何も意味はない。
既にそうなっているからだ。
ただ、英知は、人間の行動原理を明らかにややこしくした。
それだけは確かだと思う。
それでもって、人間は英知によって豊かになっただろうか。
豊かになったのかどうかすら、それでさえも、当たり前になった事で、分からない。
でも、もう戻れない事だけは分かる。
戻ってしまえば、剥き出しになった、素っ裸の、弱い生命が一つあるだけなのだから。
だからきっと、豊かにはなったのだろうが、一方で豊かさをどこかで失ったとも思う。
犬は、英知の間にただ乗りして、一番いい思いをしている。
犬は、人間の渦中になるべく入らずに、人間の英知を利用している。
人間は犬を愛せずにはいられない。
だから、犬は好きになって当たり前なんだ。
同時に、だから犬は害獣なんだ。
愛してやまない、人類に寄生する、愛すべき獣。
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