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あ る 地 名 の 風 景
夜光の海 yako-2
あと半月もすれば三月弥生。
春が待ち遠しいところですが、
「弥生」について
「草木がいよいよ生い茂る」ことからの名称だといいます。
つまり、
“いよいよおい”が
いつしか“やよい”に変わったという意味です。
地名もですが、言葉はちょっとしたことで変化します。
まるで生き物ですね。
ところで夜光ですが、
場所は京急大師線の終点、
小島新田駅を降りた南側の海沿い一帯です。
当然このあたりは埋立地で、
江戸時代は海だった場所です。
公式に夜光という地名が初めて現れるのは、
明治27年に造成された“夜光新田”です。
しかし、もともと“夜光”という地名があって
これを採用したのか、造成した時に
何らかの理由で考え出したのか、
ここがわからないんです。
でも面白い言い伝えがあります。
昔から川崎大師の沖は
“夜光の海”と呼ばれていたというのです。
川崎大師の縁起にも
「光る海に網を投じて大師像を引き上げた」とあります。
もちろん、
伝説や縁起を鵜呑みにするわけにはいきませんが・・
夜光の海は遠浅だったため、
明治時代には海苔の養殖や製塩が
盛んに行われていたそうです。
(つづく)
(川崎市川崎区)