![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/127956085/rectangle_large_type_2_cbfd884ffeb32ef9335899853034e60d.jpeg?width=1200)
ある地名の風景
朝焼けの弧船ー北上川河口 kitakami-2
北上川には河口が二つあります。
一つは元々の流れの石巻湾。
もう一つは、洪水対策のため
途中から新しく東へ河道を作ったので追波(おっぱ)湾です。
![](https://assets.st-note.com/img/1705507417406-dzhAgZdwKq.jpg?width=1200)
この追波湾のあたりは
現在は石巻市ですが、合併する前は北上町でした。
ここにも”北上”があります。
川の名はたいてい流域の地名をとるものですが
北上川はどこの地名をとったものでしょう。
その他にも北上山地、北上盆地などなど。
”北上川”が初めて文献に現れるのは
鎌倉時代の「吾妻鏡」だといいます。
実はそれより昔、
平安時代初期の史料に”日高見”という水神様の記述があることや
さらに昔の「日本書紀」に
このあたり一帯を”日高見国”と称したことが知られています。
つまり、「きたかみ」という地名は
この「ひたかみ」の変化だろうというのが
一般的な説になっているわけです。
ということは、源頼朝のころには
すでに”日高見”ではなく”北上”と呼ばれていたんですねぇ。
これが本当だとすると
この”ひたかみ”はどんな意味なのでしょう?
(つづく)
(宮城県石巻市)
![](https://assets.st-note.com/img/1705507360319-FCNAdTUO5o.jpg?width=1200)