ある地名の風景
二子橋と白い自転車 futago-3
最近またまたイギリスのネッシーが話題です。
数十年ぶりの大捜索とか。
日本人観光客がその姿を新しく撮影したり。
そうかと思うと
アメリカでは異星人のニュースでもちきり。
やはりわけのわからないモノに惹かれますよね。
地名も負けず劣らずわけが分からないのですが
惹かれる人、まったく少ないようで(笑)
二子玉川の”二子”は
対岸の川崎にある二子という地名に由来し、
これは地内にある”二子塚”から生まれた地名だとわかりました。
”玉川”については、明治22年に玉川村ができた時、
多摩川の別称として採用したようです。
でもなぜ、対岸の地名が通称地名として生きているのか、
いつごから使われているのか・・ここがよく分かりません。
明治45年に等々力、下野毛、瀬田を
東京から神奈川に移したらしいのですが、
あるいはこうした土地の移管に関係あるのかもしれません。
多摩川に沿って地図を見ると、
世田谷区と対岸の川崎市には同じ地名が数か所あります。
これは洪水のたびに多摩川の流路が変わって
沿岸の土地が世田谷側に移ったり川崎側に移ったりした名残りです。
明治45年の移管はどんな理由かわかりませんが、
明治から昭和初期にかけて二子の土地も
あっちへ行ったりこっちへ戻ったり
そんな時期があったのかもしれません。
(川崎市高津区)
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