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飲んだくれ異常独身のタイ一人旅日記①(出発~1日目)

 次の休みは海外に行こう―――。
 そんな気持ちになったのは、この夏に感染したコロナウイルスによる厄介な後遺症がなんとか落ち着いてきた頃だったように思う。

 これまでの数年間は、海外旅行というと、やはりどうしてもコロナウイルスの存在やそれに伴うPCR検査などの様々な制約や煩雑さが頭に浮かび、積極的にしようとは思わなかった。だが、最近は少しずつ制限も緩和されていると聞くし、何より、ついこの間罹患したばかりなのだから、コロナに関しては自分は今、いわば「無敵状態」なのだ。というわけで、「次の休みは海外に!」と心に決め、虎視眈々とその機会を待っていたのである。

 とはいえ、海外旅行に行くには、準備も含め、それなりに時間が必要だ。1泊2日の近場のノンキな温泉旅行とはわけが違う。しかし、僕を含めわが国の平凡なサラリーマンであれば、頑張ってもせいぜい1週間程度しか時間を作れない。

 GWや年末年始などと組み合わせればもう少し余裕のある旅ができるかもしれないが、考える事はみな同じで大挙して海外に押し寄せるから、航空券やホテル代も高いし、観光地も混むし、金持ちでもなければ嫌な思いをすることは目に見えている。絶対にピーク時は避けたい・・・と考えながら手元のスケジュールと睨めっこし、業務の閑散期やら上司の不在やらが重なる絶好の機会をなんとか見出すことができたのである。

 与えられた期間は、月~金(有給休暇)とその前後の土日を含めた9日間であった(これでもかなり頑張った方だ)。さて、スケジュールが決まれば次は目的地を決めなければならない。ヨーロッパは遠いうえに物価が高いし、台湾や韓国は近すぎてつまらない。距離にしてその中間あたりの、物価はそんなに高くなく、旅気分を存分に味わえる国・・・ということで、東南アジアが最適であろうという結論になった。

 ただ、バックパッカーの真似事をやっていた学生の頃のようにあまり冒険はしたくない。そう考えると、今までに行ったことのある国なら、雰囲気や料理の味も知っているし、コロナ禍を経て久々の海外旅行ということもあり、身体慣らしがてら、どこかに再訪するのがいいかもしれない。フトコロに(多少)余裕のある社会人として、あの頃とはまた違った旅の楽しみ方もできるだろう。

 そして、最終候補のベトナムとタイで迷いに迷った結果、フライトのスケジュールや旅行のしやすさなども考慮して、今回の目的地にはタイの首都・バンコクを選んだ。バンコクを拠点にしながら、近郊の観光地や、噂によく聞くビーチリゾートであるパタヤにも足を伸ばすという計画である。北部のチェンマイでトレッキングも体験してみたかったが、やはり時間のない社会人には叶わなかった。

 だが、いくら物価が安い東南アジアとはいえ、それはもはや過去の話で、しかも昨今の「円安」という、海外を旅行する人間にとって非常にマイナスな要素がのしかかってくる。少しでも費用を節約するため、実家に帰った折に押し入れの中を引っかき回してみたところ、大学の卒業旅行でタイに(もちろん1人で)行った時に余っていた120バーツ(今回旅行時のレート、1バーツ=約4.5円で計算すると約540円)ほどが見つかった。

小学生の小遣いよりひどいが、旅行前の僕の全財産である

 当時は1バーツが3.3円くらいだったと記憶しているので、いかにこの数年で円安が進んだかを実感して悲しい気持ちになってくるが、とりあえずこれで、レートの悪い空港の両替所を使うことなく、街中に出るぐらいのことはできそうだ。とはいえ、せっかくの旅行なのに財布の紐をある程度固くしなければいけないのは残念な限りである。

 さて、目的地を決め、「地球の歩き方」をパラパラと読みながら、大まかな旅程も頭の中で描いてしまったので、しばらくタイ旅行のことは頭から離れていた。そして気づけば出発まで1週間、慌てて持ち物のリストアップや買い物をしたり、現地で使うeSIMを品定めしたり、クレジットカードに付いている海外旅行保険を確認したりしていたら、あっという間に旅行前夜になってしまった。楽しみというよりは、何で海外旅行なんて行くことにしてしまったんだろう、面倒臭いなァ、家で寝てたいなァという気分だった。


旅行前夜、博多にて

 今回は福岡空港⇔バンコクの往復航空券を予約した。地元のショボい空港だとそもそもバンコク行きの直行便がないのでまるでお話にならないのである。土曜日朝9時のフライトだったので、博多に前日入りして駅近のカプセルホテルに泊まることにした。

 博多駅に着くとすぐ、中洲の夜のお店に遊びに行きたい欲が全身のそこかしこから沸きあがってくるのを感じたが、明日からの旅行のために金と体力を温存しておかないといけない。豚骨ラーメンをすすったのち、道草せずに泣く泣く素直にチェックインした。

俗に言う「泡系豚骨ラーメン」の名店でした。初めての味

 しかし、ほとんど眠れなかった。元々、海外旅行の前日には興奮して一睡もできないという不幸な体質であるうえ、出入口のすぐ近くのカプセルを割り当てられており、意外と深夜でも人の出入りがあって、閉まった扉の「バーン!」みたいな音がすごく響いて眠るどころではないのである(早急に改善してもらいたい・・・。ケチらずシングルルームにしときゃよかった)。

出発の朝

 というわけで、赤く目を腫らしたままで朝5時30分にチェックアウトし、腹ごしらえののち博多駅に向かう。

日本の伝統的な朝食(松屋)

 始発の次ぐらいの地下鉄に乗り込んだ。意外に乗客が多い。スーツケースを抱えたビジネスマン、図体に負けず劣らず特大のリュックサックを背負った白人の旅行者はもちろん、ハンドバッグを携えたポニーテールの博多美人や、杖をついたお婆ちゃんもいる。土曜日の早朝、色んな人が色んな事情があって空港に向かってるんだろうな、そんなことを考えながら人間観察していると、すぐに終点の福岡空港に到着した。なんといっても博多駅から10分足らずという異常なほどのアクセスの良さがここの魅力である。

 福岡空港は初めて使ったが、地方空港とはいえかなりの規模の大きさだと思った。特にアジア諸国からは、成田、関空に次ぐ日本の新しい玄関口としてさかんに利用されていることが分かる。

アジアのそこかしこからの便が就航していることが見て取れる

 チェックイン手続きも保安検査もすんなりと終わり、出発までの時間は、景気づけに朝からビールを飲みながら搭乗口で待機していた。どうでもいいが、僕は空港のチェックインカウンターや手荷物検査の係員の仕事ぶりが好きだ。あれほど冷徹に事務的に接客できるのは一種の才能だと思う。あんな風になれれば毎日ストレスまみれの社畜生活も少しはラクになるかもしれない。

 さて、本当ならガイドブックなどを読みながら旅の計画を練るのに時間を使いたいところだが、寝不足状態にほろ酔いも相まって、ふわふわする頭でぼーっとしていたら、周りに座っていた人たちが何やらガヤガヤしながら立ち上がり、列を作り始めた。おっと、乗り遅れてはいけない。急いで僕も荷物をまとめ、機内に乗り込む。

別に飛行機が好きなわけではないが、パシャパシャとむやみに写真を撮ってしまう

 今回はベトジェット・エアというLCCを初めて利用した。名前のとおりベトナムの航空会社である。スチュワーデスの制服はさすがにアオザイではなかったが、珍しいショートパンツスタイルであり、スラリと伸びた脚が非常に色っぽくて思わず鼻の下が伸びてしまった。

 ちなみに航空券の値段であるが、旅行のオフシーズンということや、預ける荷物もなかったので、運賃は46,000円ほどで、まあまあ安く取れたのではないかと自負している。もちろんLCCなので機内食も飲み水の提供さえもないが、そんなことは大きな問題ではない。できる限り交通費は節約してナンボなのだ。

ビールは350mLの缶で150バーツ(675円)~。誰も買わんわな
無事、離陸!

 海外旅行もしばらくぶりなら飛行機に乗ったのも本当に久しぶりである。運よく窓側の席だった。これなら快適に過ごせる。8年前、20歳の時などは3人掛けの真ん中の席になってしまい、今回と同じように前の夜に眠れず、飛行機の中で爆睡してしまったのだが、右隣の席の外国人のお姉さんにもたれかかってしまい、そのお姉さんが左に僕の身体を押し返すので、今度は左隣のお姉さんの方にもたれかかった僕を、左のお姉さんが右に押し返し、また右のお姉さんが・・・というように、まるで振り子のように右左を行ったり来たりしてしまったという恥ずかしい記憶がある(寝ぼけていたので、もしかすると夢だったかもしれない)。

 閑話休題。バンコクまではおよそ6時間のフライトだ。機内では睡眠を取ったり、スマホのアプリで簿記の練習問題を解いたりしていた(旅行前に合格して気持ちよくタイに旅立つつもりだったのだが、計画が狂ってこうなってしまったのである・・・)。

熱帯の空気

 機長のアナウンスで目が覚めると、もう飛行機は着陸態勢に入っているのが何となく分かる。機長はおそろしく訛りの入った英語でおそらく到着が迫っているらしいことを告げるが、僕の貧相なリスニング力ではやはり99%は何を言っているのか分からない。唯一聞き取れたのは、「thirty … Celsius …」という部分で、現地の気温が最低30℃はあるということだけは分かった。12月上旬、気温1桁の日本から一気に真夏の気候である。体調を崩さないかどうか心配だ。

そうこうしているうちにまもなくバンコク・スワンナプーム空港に着陸。異国の風景を見下ろし、興奮してきた

 機内を出ると、モワッとした熱帯特有の生暖かい空気が身体に絡みつく。それと同時に、約6年ぶりにこの異国の地を3度目に踏みしめることができたことへの喜びを噛み締める。僕は羽織っていたものを脱ぎ捨て、Tシャツ1枚になった。心の底から自由な気分だ。

 面倒な入国カード的なものを書いたりしなくていいので、入国手続きもずいぶんとラクになっていた。現地時間は日本と比べて2時間の時差がある。6時間ほど飛行機に乗って、入国手続きに30分ほど要したが(ほとんどは列に並んで待機している時間であった)、まだタイは昼の1時半を回ったくらいのところだった。

 当然のことながらお腹が空いていることに気づく。タイ最初の食事は空港で済ませてしまおうか・・・。しかし、当たり前だが空港のレストランはコスパが悪いうえに、冒頭でもお話したように、現地通貨をほんの僅かしか持っていない状態だ。ここはまず市内に出ることを最優先にしようと思った。少し我慢すれば、安くて旨い食事がたらふく食えるだろう。

 市内へのバスの出発時刻を確認したら、それまでスワンナプーム空港の建物の中を散策した。

14:20出発で1人60バーツ(270円)。主に外国人観光客向けの路線だったので英語表記で分かりやすい
到着階のロビーはこんな感じ。ブレブレですみません
空港の両替所のレートはなんと1バーツ=5円を超えていた。涙が出るほどの円安っぷり・・・
空港にも当然のように仏像が。さすが仏教大国である
外は気温30℃なのにクリスマスツリー。季節感がバグる

 写真をパシャパシャと撮りまくっていたら、バスの出発まであと数分ということにようやく気づき、エスカレーターを爆走して(危ない!)慌てて下の階へ。冷や汗を拭いながらようやく出発間際のバスに飛び乗った。

間一髪間に合いました
車内はほぼ満席。アジア人は僕と運転手と車掌のおばちゃんだけで、あとはほぼ白人観光客
目的地までは1時間弱の道のり。バンコク郊外にも高層ビルがどんどん建設されている

 さて、無事バスに乗り、涼しいエアコンの風に吹かれながらホッとしたのも束の間、1つ心配事があったのを思い出した。出国前に購入したeSIMがうまく使えないのである。つまり、今僕のスマホは全くネットに繋がっていない状態だ。アプリに書いてあるやり方に従っていても、何回か再起動したり設定を変えたりしてみても、アクティベートができないのである。

 僕は海外旅行でeSIMなど使おうと思ったのは今回が初めてで、これまではどうしていたかというと、街中やホテルにあるフリーWi-Fiや「地球の歩き方」の地図に頼りつつ、分からなかったら現地の人に尋ねるという、全くもってアナログな旅をしていたのだった。

 まぁ先人の海外旅行記を読んでそういう旅のスタイルに憧れていたというのもあり、2週間も3週間も時間のたっぷりあった向こう見ずな学生の頃だからこそそれでなんとかうまくいっていた、というより単に情報弱者で便利な旅の仕方をあまり知らなかったのもあるだろうが、それはともかく、社会人の僕には残念ながら時間がない。ネットが使えるようにならないと現在地すらもおぼつかないから、旅の効率が一気に下がる。

 バイパスを降りたバスは市街地の方へ向かっていく。街中を走っている車の多くは日本車で、中でもトヨタ車が多かったように思う。交差点で停車していると、少年がどこからかやってきて隣に停まっているタクシーの後部座席の乗客に花を売り込もうとしている。乗客は窓を開けようともしない。何年か前にもバンコクで見た光景だ。

タクシーもだいたいトヨタ車だった

6年振りのカオサン通り

 15時30分頃にバスは目的地であるカオサン通り周辺に到着した。バンコクのカオサン通り、といってピンと来る人がもしいらっしゃるのであれば相当旅好きの方だろうと推察する(おそらく一般的な日本人観光客はまず来ない)。

 カオサン通りは「バックパッカーの聖地」の異名で呼ばれており、世界各国のバックパッカーにとっての東南アジアの玄関口というか、東南アジアを旅する者はみな、まずここを拠点にするといっても過言ではない。一昔前は安宿街として有名だったが、今はそれ以外にもマッサージ店、飲食店や屋台、衣料品店、お土産屋、パーマ屋、主に白人観光客相手のバーなどがそこかしこに立ち並び、明け方まで大音量の音楽が鳴り響く、いわば「毎日がお祭り」のようなエリアなのである。

 あまりイメージがつかない方は、原宿の竹下通りを思い浮かべて下さればよい。竹下通りは350m、カオサン通りは400mとのことなのでまぁ大体同じである。

 で、竹下通りから”オシャレ”とか”カワイイ”といった要素を全て消去したうえで、そこにホテルや旅行会社やタイマッサージ店や居酒屋やタトゥーショップやゲテモノを売る屋台や合法大麻の店などを雑然と並べ、さらに怪しいネオンに彩られたクラブで大音量のダンスミュージックにあわせて夜が明けるまで踊り狂う欧米人観光客を持ってくれば、立派なカオサン通りの完成である。

 ・・・以上からも分かるように、竹下通りのイメージで理解してもらうのはちょっと難しい。共通点は道の長さと、あとはマクドナルドとセブン・イレブンがあることくらいかもしれない。もし興味を持った方はYouTubeにも動画が上がっているし、何よりも1度行ってその雰囲気を体感いただくのがよい。

 で、僕も御多分に漏れず、このカオサン通りの魅力に取り憑かれた旅人の1人であり、バンコクに行くのであればまずはここに宿を取りたかった。別に騒がしいのが好きなわけではないが、今までの乏しい経験の中ではあるが、最も旅をしているという気分にさせてくれる場所のひとつがここカオサン通りだと思う。

 さて、バスを降り、再びモワモワとした暑苦しさに包まれる。車の排気ガス、クラクションの音、雑然とした街並み、グルグルに絡まった電線、ゴミだらけの路地、そして微かに感じる屋台の麺料理のダシとパクチーの混ざったエキゾチックな香り。半ば夢見心地だが、今本当に自分は一人ぼっちで異国に放り出されていることを認識させられる風景だ。

カオサン通り周辺の風景
立派な寺院がある(写真右側に少し屋根が見える)

 さて、カオサン通りのバス停で降りたはずだが、実際には少し外れたところにいるようだ。Google Mapが使えないのでしばらく気のおもむくままにフラフラと歩きまわるが、すぐに喉が渇いてきた。そこまで日差しは強くなく、体力を奪われるほどの危険な暑さではないが、まずは水分補給した方がよいだろう。

ジューススタンドのフレッシュマンゴージュース、40バーツ(180円)。ボトルに直接口をつけるのではなく、ストローで飲むのが現地のマナーなのかもしれないが、我慢できずグビグビ。もちろん文句なしに美味い。生き返った
少々迷って念願のカオサン通りに到着。まだ午後3時半なので営業していない店も多く、夜の人出の1/10くらいだろうが、物売りの店はたくさん営業していた
「MASSAGE」のノボリと客引きのお姉さんの元気な声にマッサージ欲が掻き立てられる
カオサンから1つ外れた通りは落ち着いていてよい感じ。ビールの相場を確認しておく
居酒屋では白人観光客たちが昼からビールを楽しんでいた

 カオサン通りにはまた夜にゆっくり来ることにして、とりあえず雰囲気を楽しむくらいで止めておく。まずは予約していた宿にチェックインして荷物を置きたいし、Wi-Fi環境でeSIMを早く使えるようにしないといけない。

親切なインド人との出会い

 宿にチェックインする前に、とりあえず目に付いた両替所をいくつか比較して、その中で一番レートが良かった所でとりあえず10,000円を両替した。2,230バーツを受け取ったが、僕が学生だった頃はこれで3,000バーツ弱くらいは受け取れていた計算になる。まぁもう円安を嘆くのはやめよう。それでお金は増えないのだから。

 さて、本日の宿であるが、カオサン通りからは徒歩10分くらいの所だったと思う。eSIMが使えることを前提に、Google Mapを頼りに場所を探そうと思っていたので、無事に辿り着けるか不安なところだ。

 ただ、ネットに繋がっていなくても、GPSで座標の位置は分かる。ホテルの場所はマップに登録してあったので、真っ白な地図を見ながらホテルの方角に向かって歩き、現在地の青いアイコンを段々近づけていくという覚束ない手段を取るしかない(タクシーやトゥクトゥクを使うという手もないではなかったが、ぼったくられたり違う場所に連れて行かれたら嫌だし、何より旅人としてのプライド〔?〕が許さなかった)。

こんな感じの画面を片手に探していく・・・。縮尺がよくわからないのでしんどい

 ダラダラと流れる汗を拭きながらカオサン通りから少し離れた交差点で信号待ちをしていると、1人の外国人男性に英語で話しかけられた。風貌からしてタイ人ではない。ヒゲを生やしていて鼻が高く、イランとか中東系の顔である。でなければインドか・・・。

 海外旅行中に気安く話しかけてくる現地人といえば最も警戒すべき相手なのだが、今回の場合は現地人ではなく、彼はインド人の観光客のようだった(やはりインド人か・・・)。「どっから来たの?何してんの?」から始まって、矢継ぎ早に色々と質問してくる。めんどくせぇなと思ったので適当にあしらう事もできたが、悪い人ではなさそうな印象もあり、なんとなく会話を続けながら一緒に歩くという流れになってしまった。

 彼は僕がネットに繋がらず、ホテルまでの道が分からなくて困っていることを知り、自分のスマホで場所を調べて一緒にホテルまで行くよう申し出てくれた。まさに地獄に仏・・・とまでは言わないが、Google Mapと睨めっこする時間が短縮できると考えれば喜ばしいことである。僕は素直に彼に感謝の意を表した。

 ホテルまでの道すがら、短い時間だったが他愛のない話をした。彼は名前を「シャーフ」と言い、41歳で、奥さんと3人の子供とムンバイに住んでおり、自動車の営業マンをしているようだ。海外出張にかこつけて、タイに1ヶ月ほど観光に来たのだという。明後日には「インド本国から『ガールフレンド』が来るから、デートするんだ」と言って笑っていた。

 僕は外国人の名前を覚えるのが死ぬほど苦手なのだが、「シャーフ」→「社不」ということで今回はカンタンに覚えられた。しかしまあ、不倫とはいえわざわざ異国でデートするほどのこともないだろうに。彼は僕が日本人だと分かると嬉しそうに知っている日本語を手あたり次第話した。仕事で定期的に日本に来る機会があるのだという。

 少し迷いながら、10分弱くらいは歩いただろうか。彼のおかげで無事ホテルに着けた。だが、本当に彼が善意から親切にしてくれたのかどうかは疑う余地があるので、何か請求されたらどうしようかと思っていたが、「良かったね!じゃあまたどこかで会おう」と言って彼はあっけなく去って行った。

 これまでインドには2回訪れたことがあり、少なからぬインド人と出会った経験からいうと、もちろんいい人もいるが、お釣りをごまかされたり、タクシーの運賃や土産物の値段をふっかけられたり、嘘をつかれたりといった不愉快な場面がまず思い起こされるので、申し訳ないがインド人と接するときは、どうしても色眼鏡をかけてしまうのだ。うーん、でもちょっと身構え過ぎたかな。お礼にタバコでも買ってあげればよかったな。

 チェックインもすんなりと終わり、まずは宿泊する部屋で荷物を下ろして一息つく。子供部屋ぐらいの大きさの室内にベッドが1台デンと置いてあり、あとは机、それから専用のバスルームが付いている。エアコンなどという気の利いたものはなく、天井に大きなファン(扇風機)があるだけの、いわゆる安宿である。別に寝るだけなのだから十分だ。

宿は2泊で1,012バーツ(4,550円)ほど。タイも物価高とはいえ宿泊費の水準がまだ低いのはありがたい。ドミトリータイプの宿を選べばもっと節約できる

 ちなみに、先ほどの「シャーフ」からは、「もし都合が良かったら今夜、一緒にビールでも飲まないか?」とお誘いを受けたが、いくら悪い人ではないといっても、ほんの10分前に出会った人間と一緒に酒が飲めるまで打ち解けることはコミュ障の僕には難しいし、何しろ母国語が使えないのだからうまく会話が盛り上がるかどうか自信もない。ごめんちょっと時間がなくて…などと適当にモゴモゴと言ってやんわりと断ったら、彼もそれ以上は何も言わなかった。だからこそ何かお礼をしておけばよかったと悔やまれる・・・。

 さて、この日、ここまでに観光らしい観光はしておらず、飛行機とバスに揺られて街中をブラブラしてインド人に助けられてやっとホテルにチェックインしたくらいなところだが、大仕事を終えたような達成感と疲労感に包まれている。昨日まで日本でサラリーマンをやっていたのが嘘のように、異国で久しぶりに旅人になれた僕は、鎖から解放された犬が野原を駆け回るような幸福な気分でベッドに横たわり、しばしまどろみの時を過ごしたのであった。(次回へ続く)

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