全てがコミニュケーションであると言う事
今日は自分の中ですごく大きな発見があったので、
覚書のため記しておきたいと思う。
今まで寂しいと思っていた感情は、夫婦間の「コミュニケーションの欠如」により、
心が満たされていなかったのだということ。
なんど言っても言い方を変えて言ってみても、
夫にはできないことがいくつかあると思っていたが、
実はそれらの本質は全てコミニケーションだったと言うこと。
何度言っても何故かできないし、理解してもらえない。
もう、しょうがないなぁ、それがASDか。。。と諦めていた。
しかし、個別に私が分類していたこと、
例えば、「事前に予定が共有できない」とか、
「家族にかかわることで行動する前には事前に伝えて欲しい」とか、
「相手の行動もおもんぱかって行動してほしい」とか、
その都度、その時のできないことを私なりの言葉で分類して夫に伝えていたけど、
それはどうやら元を正せばすべて「コミュニケーション」なのかも知れない
と言うことに気づいた。
今日はダメ元でまた言ってみようかなぁ、もしかして何回も言い続けたらできるようになるのかなあ、などと言う、かすかな期待とともに夫にLINEしてみた。
(私は今娘の所、夫は地方にいる)
『予定やfuture planはできるだけ早くシェアしてほしい』
とline メッセージを送った。
これは言い方を変えて、今までに何度も夫に言ってきたことである。
夫から帰ってきたメッセージが
「了解、Googleカレンダー見てる?」
だった。
私はGoogleカレンダーを見ていなかったが、すぐに見てみた。
カレンダーにはおおざっぱな予定が載っていた。
例えば、私がいつ関東に帰ったとか、
いつからいつまで娘のところに来ているとか、
本当にざっくりした予定表だった。
え?これのこと言ってるの?
いや、私が言いたいのはこんなおおざっぱな予定表のことではなくて、
「明日、何時に出発する」とか、「何時ごろの新幹線に乗る」とか、
具体的な家族間で通常シェアしておくべき情報のことだった。
もっと言えば、夫婦間で共有しておく情報とかコミニケーションを取ると言う事だった。
今回、夫にもう一度伝えてみようかなぁと思ったきっかけは、
ゴールデンウィーク中に息子のところに行くと言っていた夫が
いつ出発するのか尋ねるまで全くわからなかった言うことからであった。
電話で話をした時も自分から言わなかったしね。。。
他にもなんでできないのかなぁと思ったここ1〜2年に起こった出来事がある。
例えば、成田空港から娘のところに出発するために関西から新幹線に乗って東京駅まで出てきた私は
本八幡駅に到着するまでに夫に何回かLINEをしていた。
夫はそのLINEを見ず、同じぐらいの時間帯に本八幡から関西へ出発したため、
会うこともできず、本八幡駅でニアミス。
一言、連絡してくれば良いものを何の連絡もなく電車に乗ってしまったので、
数ヶ月離れて過ごしていて、これから出国すると言うのに会うこともできなかった。。
不思議、なぜ?
普通なら離れて暮らしていて、
何ヶ月も会っていない妻が何時ぐらいに着くのかなあ、とか思うだろうし、
電車に乗る前に連絡してみようかなぁ、とか思うだろう。
しかし、それができない。
そこが私が夫に対して冷たい人だなぁといつも思う所以である。
今年の3月の息子の卒業式にはこんなことがあった。
卒業式に合わせて関西に来ると言う夫。
前日になっても何時の新幹線に乗るのか連絡もない。
本当に来るんだろうか?やめたのかな?と思いながら、
当日の朝、連絡してみると、9時40分に着くとだけ連絡があった。
9時40分って、JR駅に着くのかな?
それじゃあ、式に間に合わないんじゃない?
と思った私は9時40分にJR駅?と聞くと、学校に着く予定だと言う。
私も9時半ごろに学校に着く予定で出発していたので、
じゃぁ同じ頃じゃない?と思いながら電車を乗り継いでいた。
考えてみれば、そりゃそうだ。
同じ式に出席するんだから、同じ頃に到着するに決まっているし、
通過地点は二人ともJR駅。
それなら、JR駅で待ち合わせて一緒に行くこともできるなぁと思いながら、
道中メッセージをしても、なかなか既読にもならずに要領を得ない。
返事が来なくて、らちがあかないので私はJR駅までいかず
地下鉄からそのまま近鉄駅まで行ってしまった。
バス停には人はいないけど、バス来るのかなあと思いながら、
学校行きのバス停に立っていると、向こうから夫が歩いてくるのが見えた。
目の前に立っている私に当然気付くだろうと思いていたが、
私のLINEメッセージを見てない夫は気づいた様子もなく、
小さいスーツケースをコロコロ引きながら
私の目の前を曲がって大通りに出ようとしている。
はぁ?と、このときばかりは呆れて声も出なかったし、
一瞬、もう、勝手にすれば?とも思ったけど、
バスも来なさそうだし、夫がすぐ来るなら一緒にタクシーに乗って行こうと思っていた私は
何とか「どこに行くの?」と声をかけた。
驚いたように私を見て、「歩いていこうかなと思った」と、夫は言う。
この時間から歩いて坂道上って学校まで行ったら、当然遅刻するに決まっている。
そろそろ着く頃だと思っていたし、一緒にタクシーで行こうと思って待っていたのだと、
私は夫に告げてその日は無事にタクシーで一緒にいくことができた。
なんでこんなことばかり起こるのかなぁ?
本当に私の感覚では理解ができないけど、
私が推測するに、夫は相手のことを思っていない、相手の行動が読めない、
勝手に自分で行動すればいいと思っている、妻と一緒に何かしようと言う考えに及ばない。全て私の推測なので、本当のところはわからない。恐らく夫に聞いても本人もわからない。「何も考えていない」と言うだろう。
これら類似する出来事から、特に育児でしんどかった頃は夫がASDだとも気づいていなかったので、すごく冷たい人だなぁとか、愛されてないのかなあ、とか寂しい、辛い、悲しい、しんどい、などと思うようになって、心が病んでいた。
やってもやっても行動は報われないし、夫に一生懸命神経を注いでも返ってくることもないのだから満たされない。私は夫に献身的であることに疲れすぎていた。