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我が価値観を見つめる

最近、すごく自我を感じる。
自分とそれ以外の境界線がハッキリしてきたのかしら。

ふわふわ~っとしていた自分が、ぐっと身体に意識が行くようになり、「今のこの自分」に意識がいっているように思う。


低空飛行

急に、なんだかやたらと忙しくなり、何かをじっくり考える暇もなかった。ただひたすら、目の前のことをこなしていき、ただひたすら、自分のまわりの人が、それなりにご機嫌に過ごせるようにバランスをとっていく。

まわりの人に意識がいっているのだけれど、かといって、自分をおざなりにしている感じは少なかった。低空飛行でギリギリ保てる高さで、静かに飛び続ける。これ以上、低くなったら私は倒れるぞ、という部分は、ちゃんと回避することができていた。

余裕はない

まだ仕事は忙しい。普段はのんびり過ごしているのに、数年に一度のお祭りのような忙しさで。自分の席に座っても、すぐ電話がかかってきて、対応に出る。水分補給すら忘れそうになる。

普段なら聞ける、いろんな人の愚痴や相談も、心に余裕が少なくなっているから、ごめん、今は忙しい、と切り上げさせてもらう。

なぜか、忙しい時に限って、いろんなことが舞い込んでくる。それ、もっと前の暇なときに言ってくれたら、もっと余裕をもって対応できたのに!となることも多い。でも、忙しい時にこそ、仕事が集まってくる、というのは世の常なのかもしれない。

モヤモヤとイライラと自分

心に余裕が少なくなっている私は、モヤモヤが見逃せなかったり、イライラを隠せなくなっている。

でも、以前と違って、モヤモヤやイライラを感じる自分を、否定しなくなっている。

モヤモヤが面白い

モヤモヤすると、気づかないフリはせずに、まずはモヤモヤしていること自体を受け止める。そして、自分が感じていることは何なのか、「自分に集中」して感じきる。体感を意識するのがいい。

そしたら、視点が切り替わり、自分のこだわりポイントや、自分が得意なことが見えてくる。自分のことを自分で、よしよし、となだめることができる。

モヤモヤするときは、他人目線のルールにのっとって、自分を批判していることが多い。でも、自分が本当に感じていること、思っていることに集中すると、批判する必要性を感じないような、そんな視点の変化が起こるから面白い。

イライラが喜ばしい

モヤモヤする時期が過ぎると、今度は、イライラが気になっている。

イライラは、自分の価値観に反することを、目の前に突き付けられるときに起きてる気がする。「私だったら、こうなのに!!」「その考え方、違うんちゃう??」みたいなね。

正直、イライラを隠しきれてない自分に戸惑ったりもする。でも、それをひた隠しにしたり、見ないふりをしないで済む自分になってきていて、喜ばしいようにも思う。

内面が外側に表れてきてる

外側の自分は、自分の気持ちよりも他の人を優先して、「いい人」であろうとする。

外側をがっちり固めていた外面そとづらが、はがれかかってきている。自分の気持ちが、素直に外に出てきているように感じる。

内側をさらけ出すのは、怖い。

でも、疲れきっているときに、いつもの癖で、自分の内側と外側の間のシャッターを、完全に閉めてるときがあって。

感情を外に出していない「冷たい自分」に気がついて。
「あぁ、やっぱり内面を人に見せれてるときの方が、まわりの人も自分も、心地良いもんなんだな」と感じた。

外側も含め「これが私だ」を言語化する

noteで書きつづっているような自分の内側が、外側の私、普段の社会生活の中の私に、にじみ出てきている。

なんていうか、本当に、「素の自分」が外側に出てきてる瞬間が多い。それに気づいて、「怖い」と感じる。

何がって。素の自分を受け止めてもらえなかったら、どうしよう、という不安なのかな。

でも、今の私のまわりを主に構成する、職場やママ友との関係では、正直、「もう私のままでいい」という土台ができている気がする。

そんな中、人と接することで、「あぁ、これは『自分だから』なんだ」と思うことが増えてる。そこらへんを、もっと言葉にできればいいな、と思っている。

「素の自分」から何が飛び出すだろうか

自我の強い私は、これまで「その自我を出さない方がいい」と感じてきている。それなのに、「素の自分を出していく」となると、一体何が起きるんだろう。

何かが、ぽーーんと飛び出していきそうなのが、怖い。
だけど、たぶん、もう止められない。

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