淡白な自分をあきらめる
お別れ続きの年度末のこと。
お別れランチ会
8年前に一緒に働いていたメンバーで、職場でランチ会をした。一人が3月末に、旦那さんの転勤で引っ越すことになった。
この8年の間に、職場を出たり入ったりしながら、最終的に出戻って来た人が多い状況。結局、ここで働いている人が好きだよね、という話になる。大らかさがあり、面白さがある職場。
ランチをした5人中、4人が感情が薄いタイプで笑った。一緒に働いているときは、そんなこと考えたことがなかったけど、このランチ会でハッキリ見えて面白かった。
みんな、別れに対して淡白で、本当にただのランチ会。楽しい時間を過ごす。
残りの1人は、感情が厚いというか、深いというか。すごく感動屋さんだと思うし、すごく優しい。特に今回、職場を離れる人とつながりが強く、同じタイミングで職場に入ったし、週末も家族ぐるみで一緒に遊んだりする仲。
転勤が決まったとの知らせに驚き、1か月ぐらい落ち込んで、涙が止まらないと言っていた。ランチ会の終わりに、離れる人がお菓子を配ってくれたんだけど、「そんなの受け取ったら、本当にさよならになっちゃう。受け取れない」と涙を浮かべて断っていた。
なんて感情豊かな人なんだろう!!!と思った。
私、そんなに寂しくなったり、悲しくなったり、したことがない!
人との別れに、とても淡白な方だと思う。
そんな話にもなって。
そこにいた4人が、わりと普通にというか、淡々と時間を楽しんでいた。また会いましょー!みたいな。
自分の淡白さをあきらめる
最近、自分の淡白さを前向きに受け止めるようになった。
お別れは、悲しいんです、寂しいんです、という気持ちになりたかった。
でも、そんな感情が自分の中から湧いてくることは、まぁないんだな、と受け止める。
「冷たい」と言われるかも、と思って、「悲しいかも?」「寂しいかも?」とちょっとでも感情があるように、装おうとしていた。
実際、ちょっと寂しくなったりも、するんだけれど。
でも、もういいか、と思って。
ここ最近続いた「さよなら」に、寂しそうなふりをするのをやめてみた。
きっと、人からはわからないと思う。
どちらにしても、淡白に見えてると思う。
そんなもんか!とも思う。
いくら情に厚いふりをしてみても、きっとまわりからは淡白な人と思われてるだろう。
それなら、いっそ、悲しいふりはやめてしまえ。寂しいふりもやめてしまえ。
すがすがしく、軽い気持ちで、別れの季節を駆け抜けた。