巫女っぽいな
noteを書くようになって、自分の子ども時代に思いを馳せることが増えた。noteを書くことで自己理解のステップが踏めるというか、ふわっとした思いや考えが確実に形となり、それらを眺められることがありがたい。
忘れてたことを思い出してきたり、当たり前と思って育ってきたことが、実はそうでもないな、と気づく。
小学生の時にお寺に週1回通ってたことも忘れてたし、京都のお寺で成人式(=仏門に入る儀式)に参加したことも、最近改めて思い出した。
話の種
こういったことを、実際に人にも話す機会が出てきた。単におしゃべりしてて、そういえば私…みたいな感じで。
自分のことを話すことが得意ではないので、noteに書くことで話す内容がまとまってきて、それなりのいいネタになってくれている。
この前、目上の方と気さくにおしゃべりできる機会があって、今までなら自分のことは話さず、ひたすら話を聞く側に徹するところ、自分の話を混ぜてみた。
そしたら、おおっそんなことに興味あるの、と盛り上がり、共通して興味あることをいろいろ教えてもらった。すごく刺激的なおしゃべりになった。
そして、今度はそんなおしゃべりから、また過去を思い出したりする。
そういえば私、神社で巫女のバイトをしたことがあるんです、みたいな。
巫女のバイト
果たしてバイトと言っていいんだろうか。
高校生のとき、大きい神社の大晦日から年明けに巫女さんになれるからやろう、と友だちに誘われた。高校公認というか、巫女さんと郵便局の年賀状の仕分けは、気軽に挑戦できるバイトだったと記憶している。
高校の友だちと一緒に申し込んだ。大学生だった姉も面白がって一緒に応募して、無事、巫女さんとして務めることになった。
概要の説明会と、参拝者への対応や袴の扱い方を教わる勉強会に行ったと思う。
「ありがとうございました」とは言わず「ようこそお参りくださいました」と言ったり、「◯◯円のお納めになります」と言ったりする。
白衣の上に朱色の緋袴を着ける。着る練習とたたむ練習を何回かした。袴は弓道部の友だちが扱い方に慣れていて心強かった。
大晦日は明け方までと、年明けに数日、日中に務めたと思う。今じゃ高校生は同じように大晦日に深夜労働はできないよなぁと振り返る。
おみくじの担当で、出た番号を聞いておみくじを渡すという、いたってシンプルな仕事だった。姉は大学生だったこともあり、お守りやお札の担当で、わりと本格的なバイトだったらしい。
巫女っぽい仏教徒
いいねぇ!巫女っぽいねぇ!と言ってもらった。ちょっと面白かった。いやまぁ仏教徒なんですけどね、と思う。
そういえば、神道と仏教ってそんなに離れたものでもなかったかな、と、神仏習合に思いを馳せる。
飛鳥に都があった時代に大陸から入ってきた仏教と、もともと自然崇拝からくる土着的な信仰の神道。その二つが混ざり合いながら1300年ほど存在してたのが、明治維新後に無理やり引き離された。仏教と神道がまざっているのが本来の姿とも言えるかもしれないな、と思う。
最近、すごく神社が気になっている。日本の神様のことを本で読んでみたり。あと、日本の歴史。古代の日本としての国づくりあたりが気になる。
まだまだ頭の中でまとまらないけど、少しずつ知識を増やしているところ。あくまで自分の興味の赴くままに、自分の中でいろんなことがつながる瞬間を楽しんでいる。
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