自分の中の化け物感
私の中には化け物がいる。
普段は隠しているけれど、解放したら自由に飛び回って暴れまわる「何か」を自分の中に感じることがある。
人を食ってしまったり、飲み込んでしまう感覚になったり、自分のことを理解してもらえない、白い目で見られるような感覚になったりする。
自由にしていい、誰にも見咎められないところでは、いろんな発想ができて、物事の真理を見つめている。
それが私の「化け物感」。
人に見られたら、知られたら、良くないことが起こるから、この化け物は隠しておかなくてはいけない。
実際、この化け物感は何だろう?
実際、人とは何か違うところはあるのだと思う。
常識に囚われない考え方や感覚を持っているようには思う。
小学校に上がると同時に、山奥の田舎の親の実家に引っ越してきて、それまで当たり前だと思っていた世界が総崩れを起こしたようにも思う。
田舎の世間は狭くがっちりとしたもので、その社会のルールから外れるものは白い目で見られる。そういう感覚は、子ども心にも刻まれたと思う。
人と違うことは、田舎では隠しておかなくてはならない。何か突出した才能や財があると、妬みやそねみの的になる。人間が束にならないと自然に勝てない田舎では、村八分は命取りだ。
引っ越す前に住んでいたような都市部に住み続けていたら、この化け物感は生まれなかったのかもしれない。
仲間に出会える場を見つけた
大人になっても、自分の中の化け物を隠そうとしてきた。でも、隠そうとすればするほど、自分の心はつらくなる。
気づけば、自分の化け物を隠さずに済む場所を求めていた。
奇跡的に結婚する相手に出会ったり。
このときが初めて自分の化け物を隠さずに居れた瞬間だった。
転職を繰り返して、ついに落ち着ける職場を見つけたり。
この職場は、私以外にも「化け物」がたくさん働いている。しかも、化け物を隠さずに生きている人たちが!
ずっと自分の化け物感を見ないようにしてきた。
でも、「化け物であること」は自分の本質なので、自分を認められないまま、現実に目を背けながら生きてきたのだと思う。
ずっと現状に不満を持っていた。
自分で自分を認められず。
でも、ついに自分の「化け物感」を認めてみた。
ここに言葉にしてみることは、すごく大きな一歩だった。
そしたら、今、家族があること、今の職場で働けていることに、感謝の気持ちでいっぱいになった。
私、仲間に出会えてる!
ずっとずーっと寂しかったのに!!
まだまだ、この「化け物感」が何なのか、はっきりとした答えは見つからない。でも、まずは化け物感を認めることで、見えないことにしていた自分を見つめられるような気がする。
いつかこの化け物を解放できますように。
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