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ハッピー

「ハッピーでいなければならない」という鎖を外したら、自然とハッピーになったので、そのことを書こうと思う。

この「~しなければならない」という思い込みを外したことで、心とお腹のところが軽くなり、頭を突き抜けるようなハッピーさを感じて1日を過ごした。

怒り爆発の連続に嫌になる

近頃、安定の?情緒不安定。最近、本当に怒りやすい私。家族はびっくりしてると思うけど、やめられない。コントロールの術がない。

この日も、何回同じことを言っても動かない子どもに、私の頭は沸騰してしまった。最近の私は、一度怒り始めたら止まらないので、別室で1人になって落ち着くまでじっとしている。

今までは、こんなことなかったのになぁ。だいたいいつもニコニコできてて、あまりにも溜まってきたら、たまに爆発して泣き出すのが定番だったのになぁ。今はひたすら、小さなことでドッカンドッカン爆発している。

ニコニコの下で潜んでいたもの

いつもニコニコしていたい。私はその気持ちが強い人間だと思う。しんどいときもニコニコし過ぎて、しんどいことが表に現れていないらしい。しんどいこと、全っ然気づかなかった!!と言われる。心のどこかで、ニコニコしてる間にしんどいことが終わればいいなーと思ってるのかもしれない。

困ったときもニコニコしてしまう。だからまわりも助けの手を差しのべにくいと思う。

でも、最近の私、あんまりニコニコしてないかもな。単純に感情の乱高下に疲れているのだけれども。ただ、いろんな心の鎖が外れてきて、楽しくなったり嬉しくなったりする場面も増えてきている。

子どもにぶちギレて怒ってしまうのは、自分がニコニコ、ハッピーでいたいのに、そういられなくなったときなのかもしれない、と思った。

もともと、自分もハッピーでいたいし、まわりの人にもハッピーでいてほしい、という気持ちが強いのだと思う。そして、今まではかなりの懐の深さを持って、ニコニコしハッピーでいることができていた。でも、実は感情に蓋をしていた結果であり、嫌な感情を押し込めて、見ないふりをしていたから、ニコニコできていたのかもしれない。

「ハッピーでいなければならない」という鎖を外す

この前、場をコントロールしようとしすぎる自分に気付き、その心の鎖を外そうと思ったけど、かたまりとして大きすぎて、一部だけを解放するように瞑想をした。その時、私には「ハッピーでいなければならない」という鎖(思い込み)があるな、と気づいた。

子どもにドッカンドッカン怒ってる自分が本当に嫌で、どうにかしたいと思い、この度この鎖を外すことにいたしました。

瞑想

やり方は、いつもの瞑想。
鎖を外すときは、嫌な気持ちになった場面を思い出し、体のどこで嫌な気持ちを感じてるか見つける。

嫌な気持ちをボコッと体から取り出すイメージで球体にする。取り出した球体を目の前で大きく膨らまして、しっかり味わう。

球体の色が、そのときによって違ったりする。だいたい、このあたりで、この鎖(思い込み)を身につけたときの思い出が脳裏をかする。ありがたい気持ちがじんわり出てきたりする。

今回の球体も黒っぽいのだけど、うっすらと赤も混ざっている。ボコッと体から取り出した辺りから、ちょっと緑がかった黄色い光が溢れ出した。

味わい尽くしたら、思い切って球体を坂道を転がすように押し出し、小さくなって見えなくなるまで見つめ続ける。

思い出

今回の「ハッピーでいなければならない」にサヨナラするとき、父と祖母の顔がそれぞれ浮かんできた。「私の笑顔を見るとほっとする」とか、「いつも笑顔でいてくれるから元気が出る」とか、そんなことを言われた記憶。二人とも、もう亡くなっているのだけど、小さい頃の私を可愛がってくれたときの記憶が、ふっと現れた。

私がニコニコして、ハッピーでいることで、喜んでくれる人たちがいたんだなぁと温かい気持ちになる。ハッピーでいること、人をハッピーにすることは、私の強みであるはず。でも、それを「ハッピーでいなければならない」という鎖にしてしまい、がんじがらめで動けなくなっていた自分をしっかりと見つめる。

ハッピーでいなければならない私は、もういない。

解放

翌朝になって、すごく心が軽くなっていることに気づく。特に理由もないのにニコニコしてる。夫に、なんで朝からそんなにハッピー…と、怪訝な顔をされる。昨日はあんなに怒っていたのに。なんでやねん、て思うよね。

通勤の自転車をこぐリズムも軽快に。職場で、まわりの人がイライラしていても、自分は一緒にイライラしなくてもいいし、その人にハッピーになってもらう必要もない。自分も無理にハッピーである必要もない。そしたら、楽しいこと、面白いことが目に入ってきて、ふふふっと笑ってしまう。久しぶりに心に余白があるなー!と思った。

心の鎖が外れれば外れるほど、心と体が軽くなる。今回は、頭の先っぽまで爽快感があったように思う。

家でまた、子どもがかんしゃくを起こす。あいかわらず、怒りがわいてくるけど、いつもみたいにその後にモヤモヤしない。「別にニコニコする必要ない」「ハッピーでいなくていい」と思うと、すーっと心が凪になり、思ったより浅瀬にいる感じで深く沈まずに済んでいる。

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