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私はハリネズミ
感情むき出しの言葉
感情を体で感じきるワークで何をしているかを書いてみて、なかなかの暴言を並べているなぁと思った。暴言を吐いて、並べて、晒している。これって言葉の暴力か、と思って、もうやめようと思った。
ワーク自体は、すごく面白いのだけれど。
怒りじゃない形で何かできないだろうか。怒りの表現方法を違うものにするか。そんなに怒りのネタがない。怒ること自体が負担にも思う。
ただ、ワークをやってみて、怒りを外に出すことの効果は実感している。怒りが出きったら、感情が湧いてくる。そして、感情を「体で」感じることの負担の軽さも、すごく感じている。
エナジーバンパイア
エナジーバンパイアのことを考えていた。
エナジーバンパイアを引き寄せる私は、私自身もエナジーバンパイアかもしれない。エナジーバンパイアになり得る人というか。
(引き寄せる人がみんな候補ってわけではないと思う。ただ残念ながら私はバンパイア候補…)
エナジーバンパイアって、本人に悪意はないんだ、と、どこかで気づいた。本人はあくまで自分を守る行為をしている。自分を守るために悪口を言ったり、自分を守るために被害者としてふるまう。自分が溺れてしまわないように、誰かの足にしがみつく。
結局、私も同じなんだ。他の人に配慮しないで。本人に悪意はないけど、自分のことで精いっぱいなうちに、誰かを傷つけてしまう。
自分の中のハリネズミ
私の心が閉じきっているとき、自分で気づかないうちに人を傷つけていることに注意しようと思った。
自分の中のハリネズミをちゃんと認識したいと思った。
心が閉じていて、人に配慮をしない状態で、何かに夢中になると、私の背中の針は立ち上がってしまう。本人は楽しく何かを一生懸命やってるんだけど。
でも、それは他の人から見たら、威嚇行為に見えるわけで。
本人が楽しくても針が立っちゃう、ということは心に刻んでおこうと思う。威嚇する気がなくても、威嚇してしまっている。
私、針を飛ばしてた。
私は悪役
悪役の構造だな、と思う。
自分と向き合うきっかけになった「私は悪役の方なんだ」という気づき。
本人は、自分の理想に向かって、突き詰めて考えて、ひたすら突き進む。それが、他の人のためになっていなければ、自分だけのためならば、それは他の人や「世間」には「悪」と捉えられるという構造。
悪役は、自分が「悪」だと認識しきっていない。そんなことは関係なく、ただ、自分の本能に従っている。社会的な立ち位置を気にしないで突き進んだ結果が「悪役」なのかもしれない。
ヒーローの仲間を目指す
防止策として、人を傷つけないようにするのはもちろん、傷つけるつもりはないことは、ちゃんと表現していく必要があると思う。
そもそも、社会的な認識が足りてないのが、問題につながりやすい。
私は本質的に悪役なので、それはしょうがない。ちゃんと認識する。
ちょっと目線を変えて。
ヒーローとお友達になった悪役は、なかなか味のあるキャラクターに仕上がる。
ドラゴンボールでいう、ピッコロさんとか、ベジータとか。
誰かのために戦える元悪役は、ヒーローの集団の片隅でそっと佇んで、ヒーローの仲間に深みと広がりを加える。
ヒーローみたいに「みんなのために」戦うのは難しいけれど、自分のそばにいる大切な誰かのためには戦える。
なんか、そういうのを目指してみてもいいのかも。
(ま、別に戦わんでいいんだけどね。)