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変化(ジャッジする)③


怒りが続くとき

ずっとプンプン怒ってしまったり、機嫌が悪くなってしまうのは、自分に何かした相手に対してではないのだと思う。私は自転車を無謀運転する人に対して怒ってるのではないように思う。

腹を立ててることについて、自分で自分に言い訳をしながら、ぐるぐるしてしまってる。同じ出来事を思い出しては、腹が立ち、腹が立つことに言い訳をしてる。

腹が立ったのは「びっくりした、怖かった」からで、それを本人に伝える術はないし、行き場を失った感情を自分に向けてしまってる。さらにどこか、腹が立ってる自分をダメだと思っていて、腹が立つだけの十分な理由があるんだから!と、また原因となった出来事に想いを馳せてしまうのだ。そして悪循環。

でも、出来事は出来事。他の人のことは置いておく。自分の感情はこうだった、と受け止められるようになって、自然と嫌な出来事が頭から離れて出ていってくれるようになった気がする。

出来事と想定と感情と

何かが起きて、そこから無意識のうちに発生する想定と、さらにそこから感じてしまう感情と。一気に感情まで駆け上がっていくその一連の流れを、一つ一つほぐしていってみると、よいのかもしれない。

怒りは二次感情であって、その前に何か無視してしまった感情が眠っている可能性が高い。怖かった、びっくりした、嫌だった、みたいなね。さらに、恥ずかしい、くやしい、不安、とかが追加されたり。

怒りになる前の感情に、気づけるようになってきてるのかもしれない。

ドラマのセリフの意味

Don't you judge me!!
私のことをジャッジしないで!

その意味は何なのか、夫に聞いてみた。アメリカのドラマのことはアメリカ人に聞く。

そのセリフを言っていたドラマの場面を一緒に思い出しながら、「私には悪いクセがあるけれど、あなたにも悪いクセはあるでしょ!一方的に私のことを悪く言えないでしょ!」といったところかな。

ドラマでは明らかに、このセリフを言ってる人の悪いクセが悪すぎて、よー言わんわ!みたいな感じで笑えるらしい。

judgeは上から下に見て、こういう状態だと批判的に言い放つ感じ。そんで、その多くが非難に聞こえる。

ジャッジの部分

カタカナで「ジャッジする」というとき、そこには「自分が一方的に決めつけてる何か」があるのかもしれない。出来事が起きて、何か自動的に想定してしまうもの。それがジャッジの部分かもしれない。「あの自転車の運転危なすぎやろ!けしからん!」みたいなね。

でも、それは私がそう思っただけ。他の人から見たら、また違うように見えているかもしれない。

私は私が思ったことを認めてあげればいい。

私だけじゃないでしょ!他の人から見ても明らかでしょ!みたいに正当化しようとして、怒りにつながっていくような気もする。

私は私の思ったことと感情を受け止めて、自分のことに集中する。

ドラマ『My Name is Earl』

ちなみに、このセリフが出てきたドラマは、『My Name is Earl』。

宝くじで大金を手にした男性が、そのお金を今までの悪行を償うのに使っていくというコメディ。「カルマ」がテーマになっていて、良いことをすれば良いことが返ってくるのを実感していく。彼の悪事がくだらなくて悪くって。とんでもない人たちが出てくるけど、なんか心が温かくなるような気もするドラマ。

本当に馬鹿げてて、くだらないんだけど、面白くて止まらなかった記憶がある。

どのシーズンだったかは忘れたけど、主人公アールの元奥さんジョーイのお母さんが出てくる話。まぁ出てくる人全員、何か問題を抱えているんだけど。このお母さんも、まぁすごくて。何回も"Don't you judge me!!"と繰り返す。

このドラマ、十数年ぶりに、もう一回見てみようかな。あまりにもみんなが問題を抱えていて、でも馬鹿げてて。私が抱える問題って、そんな大したことないか!と気持ちが軽くなるのかもしれない。で、じんわり心が温まる瞬間を楽しめる気がする。

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