私の親は毒親じゃない

「毒親」という言葉がある。

「言葉や態度で子供を傷つけたり、支配した気になったりする親のこと」が、今世間で使われている大意らしい。使われるのには様々な背景があるだろうが、私は今後何があっても自分の親を形容するのにこの言葉を使いたくない。これからそういう話をするが、この下に書くことは全部自分の家に対して自分が思う話で、「毒親」という言葉を使う人や、その背景にある考え方を批判する意図はない。


タイトルの時点で察されているかもしれないが、私は自分の親に対して色々思うところがある。友人や恩師に自分の親の話をすると、時々だが上の二文字が返ってくる。だからこそ明言したい。それでも私は、自分の親を「毒親」とは呼びたくないと。だって色々と思うところがある親でも、自分の親はそれだけじゃないからだ。好きなところ、嫌いなところ、共感できるところ、意味が分からないところ。色々複雑に絡み合っている人のことを、そうだと知っている立場として「毒親」という一言で片づけるのはいやだ。

「大した問題がないからそんなこと言えるんだよ。本物の毒親を見せてやろうか?」

自分よりずっと家庭事情の複雑な人(比べるものじゃないことは分かっています)から、そんな言葉が飛んでくるかもしれない。でも私が私の両親に対して「毒親」という言葉を使いたくない理由は、決してその悪意の軽さに依存したものではない。今後もし、極限まで痛めつける、飢餓に陥れる等、世間で言うところの「本物の毒親らしいこと」をされても、自分の親に対しては毒親という言葉を使いたくないままだと思う。仮にそうなったら「うちの毒親がどうのこうの」と見知らぬ誰かに向けた場で公開する前に、素直に近くにいる誰かに相談したり法の力に頼ったりする。恵まれているので、私には何かあった時に相談できる味方がたくさんいる。結局何が言いたいかというと「毒親」という言葉の重み、軽みを無視して使うのが、どちらもしたくないのだ。



私には二人の親がいる。母と父だ。

母は神経質で、世話焼きで、周りに困っている人がいるとすぐに自分が飛び出していく。家族に対してもそうだ。反対に、他の人に仕事を教えたり任せたりするのは苦手で「自分がやる方が早い」と他の人が入るスキを与える前に自分が動いて解決してしまう。完璧にできていないものが目に入ると、つい気になってしまうのだそうだ。時々「新人の○○さんがずっと仕事を覚えない」と嘆いている。そういった愚痴を聞くたびに、全てではないだろうけど、その理由のどこかには母の世話焼きや心配性があるのだろうなと思う。あとは猫と信玄餅が好きだ。


父は大らかで、優しくて、子供が好きで、日常の中にある小さな幸せを見つけるのが上手な人だ。大抵のことには動じず、周りの意見を優先する控えめなところがある。ドラムが上手だそうで、昔大学のサークルではバンドリーダーをしていたらしい。ピアノも弾ける。反対に、周りの雰囲気を察したり人の役に立つために次どう動くかなど、周囲について考えたりすることは苦手そうだ。周りの意見を優先すると書いたが、父はそもそも自分の意見をあまり言わない。家族に対してもそうだ。時々、年に一度くらい、変なタイミング(と、こっちが思っているだけで、思いや怒りが抑えられなくなった瞬間なのだろう)で発言したり激しく爆発したりするから、意見を持っていないわけでは無いらしい(人として当たり前だが)。とにかく人と関わるのが苦手なのだと思う。あとはガンプラが好きだが、これは10年以上前の情報だ。今はどうなんだろう。


この二人、母と父がどんな関係かというと、もう、圧倒的「「「母」」」である。

つい世話してしまう母と、自己主張弱めの父。お互いがお互いを加速させ、家のことの決定権はほぼ母。父は何も言わない。子どもに意見するのも母。世話するのも母。子どもにGPSをつけるのも母(心配性すぎる故、私の携帯には20歳を過ぎてもGPSが付いていた)。父は何も言わない。互いの実家に挨拶をするのも母が代表。父側の母にさえ母代表。父は何もしない。私の家はそんな家だ。


子である私の役目は、母の、父に対する愚痴を聞くことだ。「あの人は本当に何もしない」。何度聞いても大体そんな感じで、本当に母は大変なのだった。父が何もしないがあまり、父の家族周りの関係を取り持つのにもなぜか母が頑張っており、それを無言で受容するだけの父の家族にも母は不満を持っていた。そういうのが溜まりすぎないように聞くのが毎日の私の役目だ。そう思っていた。恥ずかしい話だが、私は成人してからも暫く母と一緒にお風呂に入っていた。母が過去の辛かったことや今の苦労話をしやすそうなのがお風呂だったからだ。

それから母に色々と言われすぎた父と後で話すのも。父に対する、母の物言いには全くと言っていいほど敬意がなく、聞いていてこっちが辛くなる。父が可哀想になってくるし、何を伝えてもそんな返し方をされ続けるのでは、そりゃ意見する気も失せるよなと本当に思う。昔は違ったのかもしれないが、記憶の限りだと父のことを、母は大概卑下している。こちらがダラけていたり要領が悪いことをしでかしたりすると「やだ、パパみたい」などと言う。蔑称に自分の夫を使わないでほしい。

やりとりを聞いて一方的に悲しくなった後。母が去ると、父に「……愚痴もわかるけど、言い方がねえ……笑」などと冗談混じりな風に言う。父は「はっは…」と本心の分からない反応をする。いつも同じ、小さな笑い。私は父の、表には出さない、本当はどこかにあるような気がする、心の底の火種を消すような気持ちで伝えているつもりのだが、父にどう受け取られているかは不明だ。意味なんてないのかもしれない。悲しくなっているのは私だけなんだろうか。何気ないやりとりの、棘のある言い方を、いつか起こる火事の火種じゃないかと、そう思っているのは私だけなんだろうか。棘のある言い方が「当たり前になる」だなんて、人間の心の底から本当にそんなことあるんだろうか。


母のことが好きだ。でも、母の何でもしすぎてしまうところが、本当はずっと怖い。

母がコロナウイルスに罹った時、「ごはん、私(筆者)が作るね」と言ったのだが、次の日起きたらその日の夕食ができていた。頑張って作ってくれたらしい。それで完治した後、「コロナ中もご飯作った私、えらいよね」と私に言った。頼んでないよ、なんて言えなかった。何か言おうものなら怒られるからだ。過去の経験から分かっている。でも今思えば、怒られてでも言うべきだった。この件は忘れかけていたが、最近「コロナ禍の隔離生活って本当不自由だよね、病院にいるみたいで」と何気ない会話を投げかけた時「ね、ごはんの出ない病院ね」と皮肉られた。それだけと言われればそれだけなのだが。

お風呂で愚痴や悩みを聞く時、表面上は母の味方をしつつ、決して父だけが悪いのではないだろうと思っていた。「母が何でもしてしまうから父が何もしない」のだろうし、同時に「父が何もしないから母が何でもしてしまう」。湯船につかりながら、2年位前に、そんな結論を固めた。すごく疲れていた日、いつも通り母の家族と父の家族の愚痴を聞いていた時、限界でつい「ねえ……またその話?」と言ったら母が無言になった。家中の空気が悪くなり、私は謝った。私の家の空気は母の機嫌によって左右される。私も母に似て空気の悪さがつい気になってしまう性分で、機嫌の悪い母や悲しそうな母を見ると申し訳なくなって謝るのが癖だった。母は許してくれた。気持ちが落ちていることを話さず、前触れもなく突っぱねた自分にも非がある。でも今思えば、空気が悪いだとか気にせずに自分の本音を伝えるべきだった。


父のことも好きだ。でも父のいつくるか分からない爆発が、本当はずっと怖い。

一年に一度くらいある、父が唐突に家族に本音を全てぶちまける時間。元の非は家族にもある。だけど何か怒られをやらかしてしまったその日ではなく、父は数日たってから怒る。違うのかもしれないが、自分の考えをまとめるのに時間がかかるからそうなるんじゃないかと思っている。最近あったぶちまけの標的は自分だった。然るべきタイミングで(怒られてる側が何をって感じたが)母から怒られ、反省し、反省を生かしている途中だった。だから何となく不服だったが、そんなものは関係ない。怒られるというより罵声だ。

「なんでなんでって、何でもかんでも聞いて。何様なんだよ」「ほんとに想像する力もねえな」「お前の悪いとこ一つ一つ言わなきゃいけねえの?」「いちいち言うのめんどくせえんだよ」「何でも教えてもらえると思うな」

普段優しそうで無口な父の、突飛なタイミングの言葉を、私は爆弾のようだと思う。でも同時に、優しい父親を勝手に想像して上部だけで会話していた自分がそれを作り上げたのかもしれないとも思った。

「なあ、我慢してたんだよ俺は。どうせ言われなきゃ何しても良いと思ってんだろ」

思ってないよ、お願い教えてよ。何がだめだったの。悪いところ全部教えてよ。想像力が無くてごめんなさい。

「あー本当だよ。全部言うの?めんどくせえな、本当に人の気持ち考える力無いわ」

めんどくせえ、めんどくせえ。そればっかりで、何が気に食わないのか父はいつまでも言葉にしない。出来ないのだと思う。こんなになるまで我慢なんてしないでほしかった。言ってくれなきゃ分からないよ。思ったらその場で言ってよ。そう思った。だから初めて、言った。いくらなんでも主張の仕方が下手くそすぎて、我慢できなかったのだ。でも自分も同じかそれ以上に下手くそだった。つい先日あったやりとりだ。


お互い珍しく大きな声だった。うるさくて母を起こしてしまったが、これ以上続くと危険だったから正直起きてくれて本当に良かった。明日も仕事なのに申し訳なかった。でもとにかく父がうざくてむかついて心の底から意味が分からず、それどころではなかった。

親とのぶつかり合いでは、いつも父のことも母のことも分からなくなって、私が泣きはらしてみっともない姿になるのがオチなのだが、今回最後にかろうじて言えた言葉は「パパが何もしないからママが全部やってんだよ!」だった。今まで父から何かを教わったことなんて殆どない。何も教えないし何もしないから全部全部ママがやってんだよ。だからあんなに心配性なんだよ。それに気づかない人が気持ちを察しろなんて。自分の考えを言うのが面倒なんて。

始めの怒られから派生して話が完全にぶっ飛んでいるが、それが父にずっと言いたかったことだった。母と二人の湯船で、一人心の中で考えていた時から。脇で聴いていた母の「ありがとう、言ってくれて」という声が小さく聞こえた。


私も父に似て、自分の本音や意見を言うのが苦手だ。本音で話すといつもこうなる。最後らへんなどもう何が何だか分からず「パパもママも好きだよ」とか言っていた。急な言葉に父は思わず少し笑ってしまっていて、それから「俺もだよ」と返した。本当にそうだったら、それがいつももう少し分かりやすい形だったらいいのになと思う。でも、父がそう言ってくれたことが私は嬉しかった。それよりも自分の考えが言えたのがあまりに久しぶりで変な気分だった。


このやりとりを書いて、私は被害者だったと言いたいのではない。自分だって自分の考えを話していなかった。相手の気持ちを考えていない部分だらけだった。それに気づいたのは自分の力ではない。私のこの話を聞いた人が教えてくれた。



ここまでの話を人がどう思うのか、私には分からない。「紛うことなき毒親じゃん」と思うだろうか。「こんなん毒親のドの字にも及ばない」となるだろうか。何にせよ私はこういう両親についても毒親という言葉を使うのは否定したい。ムカつくし本当に嫌な面だとはっきり言うが、それでも毒親とは言わない。

こんな両極端な二人が愛し合って生まれた私がいるのが正直不思議だ。でも、嫌なところがあったって何だって不器用なりに生活する二人を私は知っている。これからも見ていたいと思う。あの二人と「毒親」という言葉を結びつけるのは嫌だ。だって二人は私の目の前にいる人で、色々ある人だから。定義された一つの言葉じゃ表せないくらい色々あるのだ。嫌いなところも好きなところも共感できるところも意味不明なところもたくさん。それを自分は知っている。

こんな家に、私なりに出来ることをしたいと思う。でもそれは、言葉や介入、働きかけだけでなく、どこかで距離を置いて自分が自立するべきなのだろうと思うようになった。きっかけは自分の周りにいる人たちがくれたから自分の力だけではないが、とにかくそう思うようになった。

ここ一年で、私は親との付き合い方を見直している。親に振り回されすぎていると気づいたからだ。これまでも、今でも、意識していないと、自分の思考回路は「何をすれば親が安心するか」「何をすれば親が喜ぶか」が基準で、自分の意思や本音で話せない。何なら自分の意思なんて消えてどこかにいって分からなくなっている。意図的に探さないと見つからない。本当にどうにかしたい。


とりあえず母とお風呂に入るのはやめた。悩みの埋蔵量というのは掘れば掘るほど尽きないらしく、無理に聞く必要は無いのだろうなと思った。
母とのこれについて、自分は常に被害者、哀れな聞き役みたいな書き方をしてしまったが、母と二人きりで話す時間は、正直すごく楽しかった。母は親であり、同時に仲が良すぎて友達のようでもあった。コロナ禍中は沢山一緒に近所を散歩していた。本当に、楽しかったのだ。だからこそ行き過ぎてしまったのだと思う。楽しさ以上に問題があると気が付いて、家族のためにも自分のためにも少し控えようと決意した。

いつだったか、母から「私、毒親じゃないよね?」と聞かれたことがある。テレビで特集でも見たのだろうか。なんにも分からずぼんやりとしていた私は「???うん!毒親じゃないよ!」と言った。本心だった。当時大学に入ったばかりの自分にはまだGPSが付いていて、夜10時を過ぎて帰宅すると「不良」と揶揄された。それでも言った言葉は本心だった。「私は母が好きだから」。それは今でもそうだ。でも母がどんな親であるかを形容する理由にはならない。

影響を受け過ぎていると気づいたから、一緒にいすぎるのはやめる。振り回されてばかりの自分のことも聞き上手な母のことも、このままだと嫌になる。というかもう嫌で仕方ない。

今の関わり方を変えたいとやっとの思いで言った時、母もまた不器用な形で自分にぶつかってきて、少し考えて、最後は「私も子離れしないとね」と言った。何かは書かないが、母にも色々と自覚はあるみたいだった。今後も無理はしないでほしい。時々はまた聞きたい。でも毎日は勘弁してほしい。でも散歩もまたしたいな。もう少し夕方が涼しくなってから。あと母が不安にならない程度にご飯を作れるように努力しようと思う。皮肉られたあれはムカッとしたが、シンプルに自分は料理が下手だ。


反対に、父とはしっかり話すべきなのだと思う。どことなく不思議な雰囲気を纏っているなと感じるのは、私の父への解像度が低いからだと思う。父はいつも優しく人の話を聞いているから、何を考えているのか今一つ分からない。そして時々豹変する。突飛な距離感の取り方に怯えて、結局本音で話したことは母以上にない。さっきのぶつかり合いの後、「今度二人で話そうよ」と言った。「そうだね」と返された。シンプルだった。でもあの「そうだね」は、いつもと違って父の本心な気がした。本心だと良いなと思う。父と初めてちゃんと話せる。まだガンプラ好きなのかな。

書いていてふと思い出した。小学生の頃、父は毎週水曜日の会社帰りに「おみやげ」と言ってお菓子を1つ買ってきてくれていた。「〇〇〜、パパがおみやげ何にする?だって〜」という、携帯を片手に振り返る母の声と、母の携帯の先にいた優しい父が私は大好きだった。あんなに人と話すのが苦手だけど間違いなく父は優しい。優しさと意味の分からなさが共存している。「優しいようで本当は怖い」のではない。「怖いようで本当は優しい」のでもない。色んな面がある。父はそういう人だと思う。もうこのnote、何が言いたいか分からない。




二人とも不器用すぎて本当に困る。でもそれが私の親だ。私も不器用だ。弟だって不器用だ。みんなお揃いの不器用一家でお互いを困らせ合って生きている。好きだし、嫌いだし、共感できるし、意味が分からない。怖くて避けるために動くから、常に親のことで頭がいっぱいになる。そんな自分のこともずっとうざい。こういう考え方癖なんだよねとか言わず本当に変わりたい。

あの二人について、そして自分の本音について考えるのに私はすごく時間がかかる。結論なんて何も出ていない。ただ一つだけハッキリとこう思うと言えるのがこれだ。もうある言葉、「毒親」ではなくて、私は私の言葉で親の話をしたい。誰かに親のことを話す時、のっけから悪い印象の言葉で話したくない。「毒親だから」でこの家族と自分を諦めたくもない。
私の親は毒親じゃない。
私の親はママとパパ。
ママはママで、パパはパパだ。
だから好きなのだ。それだけだ。





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