ジェリー・サルツ氏のコーヒー
自宅待機パニック中の印象的なツイッター炎上案件に、アメリカでもっとも広く名を知られる美術批評家、ジェリー・サルツのツイートがある。普段ニューヨークを拠点とするサルツ氏は自宅待機令が出てからまだ日の浅い4月3日、疎開先のコネチカットのガソリンスタンドでテイクアウトコーヒーを18杯買って持ち帰り、使い捨てカップを消毒した上で、冷蔵庫に蓄えたことを報告しているのだが、写真を添えたこのツイートは瞬く間に大いに嘲笑されることになる。
危機に際して人々がこぞって米やパスタを買い貯める中、出来合いのコーヒーを大量に買い込むのがやや見当はずれに映るのは確かだ。
「ジェリー、コーヒーくらい自分で淹れたらどうです?」「コーヒーの淹れ方教えてあげようか?」当初、取り憑かれたようにパン作りや家庭菜園を始めた人々は、この期に及んでコーヒー一つ自分で淹れられない老美術批評家に呆れかえり、こぞって彼を馬鹿にした。
これが良質なコーヒーショップのコーヒーでもあればまた話は違ったのかもしれない。しかしサルツ氏が買い込んだのはよりによってガソリンスタンドのコーヒーである。車のシートの足下に雑然と並ぶ使い捨てカップの写真は、サルツ氏をフォローする多くの「文化的」な人々にとって、眉を顰めるのに格好だったのだろう。
と、ここまでならよくある有名人の炎上譚だが、サルツ氏の奇行に対する悪評は一ヶ月後、氏が“My Appetites” (私の食欲)と題したエッセイを発表したことで覆される。常時から毎朝デリで買ったコーヒーとカフェイン抜きコーヒーを、洗って再利用したセブンイレブンのDouble Gulp (巨大なソーダドリンク)カップに混ぜて飲むという独自の習慣の説明から始まる長いエッセイは、母親が自死し再婚した父親に放置されて缶詰やファストフードを貪る美術好きの少年時代から、トラック運転手を経て批評を書き始め、同じく美術批評家の妻が癌と診断された近年に至るまで、美術をつてに繋いだ波乱万丈の来し方と、その随所で生き延びるためルーティン化した「料理しない」食生活を淡々と綴っている。老美術批評家の数奇な人生と奇妙にストイックな食事を綴ったエッセイは、今度は善きアメリカ人の心を捉え、賞賛を浴びた。
かくいう自分もサルツ氏のコーヒーツイートに思わず笑い、エッセイに心動かされた一人だ。今思うと、何も知らずに人の食生活をジャッジして浅はかだったなあと思うと同時に、危機の瞬間に期せずして混ぜっ返されたアメリカの食と文化をめぐるスノビズムにちょっと笑ってしまう。サルツ氏はコーヒーツイートを咎めるリプライの一つ一つに「Artisanal eater(注: Artisan 工業製品に対して職人による、という意味)にはガソリンスタンドとデリのコーヒーの素晴らしさがわからないだろうよ!いつからクリエイティヴの世界は説教くさくなったんだい」と律儀に同じ悪態で返していた。まるで食のルーティンを死守するがごとく。人のフリ見て我が身を笑え。物象化の概念を知る我々は、かくも物象化した日々を生きている。