東京から戻ってきた冬のオハイオは入り組んだ道も階段も複雑な地形もなく空間に乏しいが、マテリアルが無限にあることに気づく。夏と秋の多雨はそのまま降り積もる雪に変わる。都市であれば往来であっという間に踏み荒らされるところが、無駄に広い土地は手つかずの雪原となる。パンデミックだからか、雪で遊ぶ大学生も少ない。可塑性のある物質がいくらでも使い放題だ。ヨーグルトの空き容器に水を入れて一晩外に置いておいたら、翌日透きとおったガラス状の物体になっていた。あまりにも簡単に物体ができることに驚
心の底から気が乗らなくて延ばし延ばしにしていたのだけれど、週末無理矢理ロサンゼルスから中西部の小さな町に引っ越した。ロクに部屋の掃除ができずに出てきてしまったのが何とも心残りで、正直週末に帰って掃除をしたい。 そこそこ小綺麗な町のこれまたそこそこ小綺麗なアパートに一時的に滞在している。何だかいきなり平和でのっぺりしたゲームの世界に連れてこられたようで、生きている実感がない。世界から隔離されたシャボン玉の中にいるようだ。
自宅待機パニック中の印象的なツイッター炎上案件に、アメリカでもっとも広く名を知られる美術批評家、ジェリー・サルツのツイートがある。普段ニューヨークを拠点とするサルツ氏は自宅待機令が出てからまだ日の浅い4月3日、疎開先のコネチカットのガソリンスタンドでテイクアウトコーヒーを18杯買って持ち帰り、使い捨てカップを消毒した上で、冷蔵庫に蓄えたことを報告しているのだが、写真を添えたこのツイートは瞬く間に大いに嘲笑されることになる。 危機に際して人々がこぞって米やパスタを買い貯める中
あと3ヶ月自宅待機令が延長されると聞いたとき、今後3ヶ月食うに困ってる人はどうなるんだろう、と不安に思う一方、もうしばらく眠っていていいよ、と言われたような甘美な恍惚を覚えた。あと3ヶ月、従来のスケジュールを忘れて家でぼんやりしたり、好きなだけ退屈して突飛なことを考えても良い。その間に時間や空間の感覚が変容して、今までなかったような外界との特殊な交信方法が生まれることもあるのかもしれない。生活できる程度の収入さえあれば、3ヶ月の自宅待機は軟禁であると同時に竜宮城での時間のよう
家にいる間、特に何も役に立つことをしていないのだが、iphoneで写真を撮ったり、撮った写真を眺めたりする時間がいつの間にか増えた。カメラロールを数えてみたら、3月中旬から今日まで5-600枚撮っており、昨年の同期間に比べて10倍以上写真を撮っていることになる。と言っても写真を撮ろう!と思って被写体を探しているのではなく、毎日の動線に撮ることや見ることがじわじわ侵食してきているような感じだ。変化のあまりない生活の中で、少しでも目を惹かれたら何でもiphoneで撮っている。
ふらりと夜、小規模の映画館や誰かの裏庭(通常ロサンゼルスは夏の間、多くの野外映画会がある)に出向いて知らない人々と映画を見るのが好きだ。近頃古今東西の映画がストリーミングで無料公開されているが、ブックマークが積読のように増える一方で、ほとんど見ていない。本当に見たい映画なら自分のラップトップでも良いのだが、映画館の奥行きや人の気配はストリーミングだと得難い。 どこかに行って映画を見ることが叶わない今、一つだけ好きな「上映会」がある。映画フィルムの保存修復に携わるマーク・