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月の光は愛のメッセージ。【劇場版セーラームーンeternal後編】(ネタバレあり)
やっっと!!『劇場版 美少女戦士セーラームーン eternal 後編』について、まとめました。
陰と陽というエレメント
今回の敵は、新月の女王ネヘレニア。黒い王国の女王と称しています。一方で、セーラー戦士の故郷である白い王国シルバー・ミレニアムの象徴は満月です。悪夢を怖がる幼いうさぎに、「光があるから影を引き寄せるけれど、恐れない心を強く持つのよ」とクイーン・セレニティが諭す回想があります。セーラー戦士はネヘレニアの鏡に反射した自身の攻撃を受けて、ムーンカレイドスコープに閉じ込められます。そこで、うさぎはその記憶を呼び起こします。クイーン・セレニティは、満月が決して完全ではないこと、光が光のみで完結しないことを知っていました。そして、うさぎもしっかりその教えを覚えています。だから、セーラームーンには「歪んだ心を正す正義」と「慈愛」があるのだと思います。さらに、本作での「光と影」のように対立するものは、物語を魅力的にさせる1つのエレメントであると強く感じました。
「勧善懲悪」とは言い切れない
セーラームーンの敵キャラは、みな人型で信念や叶えたいことを胸に抱いて、セーラームーンと対峙します。先ほどの「光と影」のように、セーラー戦士と対峙する敵たちは、実はセーラー戦士たちと表裏一体の存在であります。彼らは、人々が悪として心に封じ込めた想いや、何かを実現するために乗り越えた負のエネルギーを背負っていると考えるからです。だからこそ、セーラー戦士を窮地に追い込みます。アマゾン・トリオは特に、セーラー戦士の心に入り込みました。彼らは、悪夢を鏡に映すことでそれぞれの心の闇を可視化し、その暗黒部に身を委ねる穏やかな堕落を促します。「誰でも皆、胸の中に星をもっているのよ」これはうさぎからまもちゃんへのメッセージです。セーラームーン世界において敵対する悪は、そんな胸に輝く星を隠す雲のように現れます。そして、悪はひとを輝かせる心の核と不可分の関係だからセーラームーンの物語は「勧善懲悪」ものと言い切れないと思います。
反転と認知
エリオスは、セーラー戦士を加護するためにエリュシオンに残った力を放ち、力尽きてしまいます。ちびうさはエリオスに近寄って涙ながらにキスをします。エリオスはちびうさが涙を流す場面に二度立ち会います。一度目は、前編のちびうさのファーストキス。二度目のキスは、エリオスを目覚めさせ、彼の中の「プリンセス・レディ・セレニティ」の記憶を呼び起こすものです。目を開けたエリオスは「なぜ泣いているの?」と問います。前編と場面は似ていますが、前者はちびうさ、後者はエリオスを主軸として描かれることで2人の立場は反転します。立場というのは「目覚める者」と「目覚めさせる者」とします。そうして、二度のキスシーンはちびうさの恋心の芽生えと、二人の出会いの運命性を決定的に描いています。また、クイーン・セレニティを第一世代、プリンセス・セレニティを第ニ世代と捉えるのなら、これらのシーンは「プリンセス・レディ・セレニティ」としてのセーラームーン第三世代の歩みが始まることを象徴しているのではないかと思います。プリンセス・レディ・セレニティに忠誠を誓うセーラーサターンや、セーラーカルテットも共に第三世代という分類を与えることができると考えます。ちびうさを主軸とする新たな物語のはじまりを予感されられました。
ゆるい感想
後編終盤の「みんな心に星をもっているの」といううさぎちゃんの言葉が大好きです。『セーラースターソング』と呼応していますよね。『セーラースターソング』によって、うさぎちゃんの変わらない素直さ、まっすぐなところが、アニメシリーズの終盤でまた印象付けられます。「まけない! あしたへ セーラーエール ゼッタイ! つかまえる セーラースター このちかいとどけ銀河まで」という歌詞が頑張りたいとき、頑張らなければならないとき、私の背中を押してくれます。私にとっての応援歌です。
みなさんは、セーラームーンシリーズのどの曲が好きですか?