山形県鮭川村

ろきちゃんは、東北地方の山形県、その中でも特に、自然に囲まれた、鮭川村という自治体で育った。山形県内の全市町村の中で、当時、「村」の行政単位をとっていたのは、わずかに3つだった。そのうちのひとつで、ろきちゃんは育った。小学校の同級生は20人、中学校の同級生は40人ほどだった。ろきちゃんはまだいい方で、小学校の同級生が3人という人もいた。とんでもない田舎である。近くのコンビニまでは、車を20分走らせなきゃいけなかった。未だに、携帯会社によっては、圏外になってしまうらしい。今では、たまに帰省するくらいだから、ありがたく感じるが、よく18年間住んでいたと思う。

それでも、田舎で、鮭川村で幼少期を過ごせて良かったなぁと思う。毎年夏には、とんでもない量のカブトムシを近所のキノコ工場のおじさんがくれた。それを育てるのが楽しかった。冬には大量に雪が積もるので、妹と気が済むまで、暗くなるまで遊び尽くした。体育の授業がスキーになるなんて、今思えば、贅沢な話だ。たまに、近所のおじさんが鹿とか熊の肉を分けてくれたりしていた。少しクサイけど、めちゃくちゃ美味い。

それに、やっぱり都会の方が資本主義だなぁと思う。もし、鮭川村じゃなく、もっと都会の東京とかで育っていたら、小さな頃から色々な競争に煽られて、どこかで人間性がぶち壊れていた気がする。電車に乗って、街を歩いているだけでも色々な人がいて、こういうブランド物を持つんだ、着るんだ、こういう立派なお店でご飯を食べるんだ、あんなに綺麗な女の人と結婚するんだ、みたいなろくでもない思いに触れることが多いと思う。鮭川村では、そんな気持ちに触れたことは1度も無かった。言うなれば、都会の暮らしは「今日よりもより良い明日を過ごす」なのに対して、鮭川村での暮らしは「今日と変わらない明日を生きる」みたいな感じ。鮭川村に18年暮らせて、ろきちゃんは幸せ者だ。

小学3年の頃、課外授業みたいな感じで親も連れて、山奥にある与蔵沼にハイキングをしたことがあった。各々家族で弁当を持って与蔵沼まで行き、そこでお昼ご飯を食べて戻ってくるというスケジュール。なんとも田舎の小学校らしい。途中、それなりの滝があったり、めちゃくちゃ仕切ってたお父さんが崖から落ちそうになったのだが、なんとか与蔵沼に到着した。そしてその時に気づいた。
「弁当忘れた」
弁当を母に預けたまま、今の今まで気付くことなく、ここまで来てしまった。当時、太っていてそういう可愛がられ方をしていたろきちゃんが弁当を忘れたことに対して、みんなが可哀想に思ってくれて、自分の分の弁当を分けてくれた。みんなが弁当を分けてくれた、その優しさに触れてしまい、ろきちゃんは泣いてしまった。みんなありがとう、そして、自分が情けなさ過ぎるという方面の涙。そのせいか、帰りのことは全く覚えてない。それからは、忘れ物がないかどうか、めちゃくちゃ気になるし、鍵をかけたかどうか、確信させるために、鍵をかけた後、戸をバンバンやるようになってしまった。

田舎ながら、鮭川村にも名所がある。そのひとつに、「小杉の大杉」という所がある。木なのだが、その形がトトロにそっくりで「トトロの木」とも呼ばれている。角2本に大きな胴体。でも最近、角が4本ぐらい生えてきてるという。トトロは角が2本だ。だからもう「トトロの木」とも言えない。自然よ、鮭川村から名所を奪わないでくれ。

そんな我が地元、鮭川村も変化の時だ。過疎化がさらに進んでいるという。ろきちゃんが通っていた中学校が、当時でも全校生徒わずか120人だったのだが、全校生徒100人切ったそうな。3桁という大台切った感じがして、この先の未来が透けて見えてしまった気がして、少しだけ寂しかった。鮭川村出身の東大大学院生芸人として、微力ながらも何か役立てればなぁと思う日々である。とりあえず、トトロの木と与蔵沼には行って欲しい。

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