子育てから見えた牛さんたちとの意外な接点。
まさか人間の子育てをしていて、牛さんに思いを馳せる気持ちになるなんて思いもしませんでした。人生で感じたことがないくらい感慨深く、最敬礼のお辞儀をする勢いで牛乳を飲む日がくるなんて……。
改めて、子育てを見ている立場から実際にしている立場になると、みえる景色はこうも違うのかと日々新しい発見の連続です。
自分の母親や全世界のお母さんすごすぎ!!と先輩たちに敬意を表するのは、大前提ですがその敬意が牛さんまで発展するなんて。
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まず最初にぶち当たる壁として、母乳育児です。
母乳の出る、出ないは個体差があること、
搾乳機を使ってポンプ式にギュインギュイン絞られること、
授乳しているときに不快感を感じてしまうこと。
どれもこれも、人間も牛さんも同じことがいえるのです。
わたしも母乳育児が軌道に乗るまでは、搾乳機が苦痛で苦痛でしょうがありませんでした。実際に直接授乳するときは、どれだけ出ているか目に見えませんが、機械を通すと容器に溜まる量が一目瞭然。
冷や汗が滲みながら痛みに耐えて、ギュインギュインしても全然溜まらない……。
決死の思いで15分絞り取られた成果は、容器の底に白い液体が見えるかどうか。
数字で、「はい、1cc!にも至っていません。あなたはこんだけしか能力がありません!!」と母親失格の烙印を押された気分になってしまい、本当に落ち込みました。
やっとのことで、一定量出たときは一滴残らず渾身の思いで冷凍用のパックに移します。
それを、赤ちゃんが泣く=空腹=ミルクという単純な発想の夫に世話を頼んだとき、大事な大事な冷凍母乳を無駄にされました。
一回や二回じゃありません。
今しがた飲ませた直後、抱っこがしてほしくて泣いてただけやのに。母乳を解凍する前に一言聞いてくれたらよかったのに。
あれだけ、決死の思いで泣きながら絞った母乳をシンクに流さないといけなかった情けない、悲しいあの絶望の気持ち……。
そんな経験をすると、普段当たり前に頂いていた牛乳も同じ様なドラマがあることに気が付きます。
まさか、母牛の気持ちにこんなに深く共感するなんて。
個体差があるはずなので、私の様に痛みに必死に堪えて搾乳機でギュインギュインされてる牛さんもきっといてる!泉のように湧き出るタイプの牛さんもいてるでしょうが、私は辛かったタイプでしたので苦痛が手に取るようにわかってしまいました。
この経験が、今まで当たり前に飲んでた牛乳を最後の一滴まで心から感謝していただく!と心に誓うことに繋がります。
先日、酪農家の方が母牛の説明されているのを目にしました。母乳の出る、出ないの個体差があることや、出産してすぐの母牛が授乳中に不快感から子牛を蹴らないように、酪農家の方が実際に足を押さえている映像もありました。
これらの情報を並べても、人間と一緒!母牛の気持ちにこんなに寄り添える日が来るなんて思いもしません。
母乳育児一つとっても、牛さんの気持ちに思いを馳せていくぐらいドラマがあることをこれまでは全然知らなかった。今となっては、スーパーに並んでいる牛乳パックにドラマを感じ、感謝の気持ちで丁寧に選ぶようになりました。
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月日は流れ、母乳育児も軌道に乗った現在、息子は1歳。よちよち歩きで広い世界を探検したい気持ちで溢れています。おもちゃのある場所をゲートで四角く囲っている範囲では物足りない。
家中を探検させろ〜と泣き叫びます。なだめてすかしても効果無し。
根負けして、ゲートの外にだして家中を散歩です。私は妊娠後半戦にさしかかり、腰も痛むし、息切れも半端なく、できることなら座って休みたい。
頼むわ〜、休憩させて〜と心で叫びますが、そんなことは叶いません。家中をよちよち歩く息子の後ろをひたすら追いかけ、危ないものを触らないか見守りに徹します。
せっかく部屋中を移動するので、片手にはコードレスの掃除機をかけながらひたすら後ろを着いていくのです。
息子が飽きるまでは頑張ろ!と思いますが、よちよち歩きの乳児の底知れないエネルギーはホンマに恐ろしい!!飽きる瞬間なんてやってこない!エンドレス!
掃除機は「吸引力の衰えないただひとつのコードレス」を使用しているためか、みるみるうちにサイクロン式に溜まるホコリと反比例してどんどん吸い取られる私のエネルギー……。
休みたいのに、ひたすら歩き続けないといけない、強制労働やがな!
もう家中何周も何周もするうちに、今度は人間のために働く水牛に思いを馳せるようになりました。
そこで目に浮かぶのは、ひたすら人間様の言う通りに車を引き、荷物を運ぶ水牛たちの姿が。わたしが掃除機を引きずりながら息子を追いかけているこの瞬間にも、世界のどこかで同じ様にがんばる水牛さんがいてるはず。
がんばろな!と心からエールをお送りしたい気持ちです。
ここでも、また牛さんに思いを馳せることになろうとは!
わたしの干支が丑年やから、余計に思うんかな……としょうもない発想にも行き着くほど、見えてくる世界は多岐に広がり、子育ては奥深いと感じています。
やっぱり、子どもを育てるというより、わたしが教えられることのほうが多いなと日々新しい発見と学びを積み上げているところです。