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ひとりバックキャスト論争

2024/09/17、火曜日、夜。これも、思考を追いかける単なる日記であることを、忙しい皆様に予めお断り申し上げたい。仕事から帰ってきて、シャワーに入り、英語学習アプリで少し遊んだ。今は家にひとり。妻と子は義父母のところで野球中継を見ている。私は家で冷えた麦茶を飲む。

今日は蒸し暑かった。夜になってもまだ蒸し暑い。野球でもサッカーでも、私ならすぐにバテそうだ。

今日は仕事に集中していた。集中していたら一日がすぐに終わった。充実していたとも思えるし、他にも過ごし方があったのかなと思える部分もある。意識の問題かな。

私が読んだ本には、未来に影響を受けた現在が、すぐに過去として流れ去っていくという時間軸が説明されていた。それはたしかにあるなと思う。 これはバックキャスト。目的地を決めて、いまどの道を通るのか知るような過ごし方。

一方、過去を起点に過ごすと、過去の延長で現在を徒に過ごすこともある。目的なくダラダラ過ごす時間というのは、きっとこの類だろう。これはフォアキャストというやつか。過去のデータをもとに目標を決めると、フォアキャスト臭がどこからともなくただよう。積み上げ的な思考も、決して絶対的な悪ではないと私は思う。

とにかく、近い未来に英語をまた使う私だから、英語アプリを続けているし、明日また早く出かける私だから、早めにシャワーを浴びてゆっくりしている。

思いを言葉にして、何であれ発信してみることで自分の可能性を追求したい思いから、私は日記を書いている。

「上を向いて歩こう」と有名なフレーズを口にすれば、それは涙がこぼれないようにで、「下もよく見て歩こう」といえば、それは溝に落ちたり犬の糞を踏まないようにであるのだろうか。

この際もう少し話を拡げるならば、私は大学でラテン語の授業を履修していたことがある。途中で行かなくなってしまったので単位は落としたのだけれど。ラテン語で有名なフレーズといえば、Carpe diem , その日を摘め、今を生きよ、今を楽しめ、というやつだろう。邦題「いまを生きる」(原題、Dead Poets Society)のロビン・ウィリアムズを思い出す。彼の映画は10代の頃よく観ていて、私の若き日のヒーローは彼と、あとジム・キャリーだったのだけれど、ふたりとも人を楽しませる裏に陰がある巨人たちである。とにかく、今を生きるのが大事なんだけれど、刹那的にというよりも、バックキャスト的に今を生きると充実を感じやすいのだよなと思う。もちろん、天邪鬼な私の心の一部は、今をのみ思え、未来は知らず、過去は変えられずといったアイディアを借りて刹那主義を肯定したくなることもある。そのようなことを書いていた中村天風師に謝るのも必要かもしれない。

私が2005年に出会った(種類の)コーチングは、明確に意図と目的と目標を持ち、ゼロベースで未来を描き、可能を拓き、バックキャストで今を生きることを奨励していたと理解している。仕事で扱うシナリオプランニングも、もととなっているシステム思考も、営業の逆算思考も、みな「そっち派」が正しいと疑わないような趣がある。

いいんだけれど、何やらもやもやする。正しさを提示されると、無性に逆らいたくなる。困ったものだ。実に困ったものだ。

こうして、何度目か知らない、私の中の「ひとりバックキャスト論争」は何度も何度も繰り返されていくのだろう。

冒頭にお断り申し上げたように、予告通り実にとりとめのない日記となった。ここらで締めることにしたい。おしまい。

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