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9月23日(水)双葉町

福島県の国道6号を浪江から双葉駅まで歩いたときの、スナップショットとエピソード。

この春から歩行者も通行できるようになった、双葉駅周辺の立入制限緩和区域の様子。

双葉駅前は2020年東京オリンピックの聖火リレーのコース予定地。

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この日、朝5時半に道の駅 南相馬を発ってから、道の駅 浪江に着いたのは12時過ぎ。

だけど、道の駅のレストランもショップも定休日。浪江を出たら、この先、双葉町ではお店を見つけるのは絶望的だったので、ちょっと焦ったが、道の駅の向かいで定食屋を見つけて、3日振りにちゃんとした食事にありつけて、ホッとした。

注文後、双葉駅の常磐線上りの時刻表をチェックした。スマホを持っていないので、旅を出る前に印刷しておいたものだ。

次は 14:24、その次は 16:51 だった。
今から食事して、双葉駅まで歩くとしたら、14:24発に乘るのはギリギリだった。

「これは、双葉町をゆっくり観て回れってことかな」

そう思って、14:24発は諦めることにして、久々の食事をゆっくり味わい、双葉駅まで気にせず歩くことにした。

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浪江から双葉方面に歩き始めて、ほどなくすると、こんな立て看板が並び始めた。

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物々しい看板にドキドキし始める。

国道6号は、震災後から通行規制がされていて、今も、自転車、歩行者は通行できない区間がある。この春、バイクは通れるようになった。看板の白塗り部分はおそらく「自動二輪」等だと思う。

旅に出る前、事前に調べたときには、通行できない区間の南北端にはゲートがあって、自転車や歩行者は警備員に止められるとのこと。

そのゲートは、双葉町に入ってからもまだ先にあり、双葉駅に行くにはその手前で曲がればいいので、問題ないだろうと、そのまま歩いた。

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やがて歩道はなくなり、路側帯を歩く。

道幅は細いし、工事車両の交通量も多いので、歩行者には心穏やかでない道。まぁ、これくらいは、被災地の国道ではよくある話。

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双葉との町境に近づくにつれて、どんどん数が増す看板。

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英語の看板も出始める。

なんかものすごくヤバいところに来たような気がして、ドキドキが高まっていく。

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双葉町境に到達。

ここにも、さきほどの看板が立っている。
しかし、これまでのは「この先、双葉町 帰宅困難地域」だったのが、「ここから、双葉町 帰宅困難地域」に変わっている。

さらにドキドキが高まる。

けど、別にゲートがあるわけでもなく、警備員がいるわけでもない。怒られちゃうかなとも思ったが、何か悪いことをするわけでもないから、注意されるまで歩いてみることにした。

途中、工事現場の入り口に警備員が椅子に座っていたけど、何も言われることもなかったのでそのまま通り過ぎた。

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どんどん道を行くと、路側帯がさらに狭くなり、その上、道の傍からススキやセイタカアワダチソウなど背の高い草がボウボウに溢れて、車道側に避けないと歩けない区間が増えてきた。

後ろからの車を確認しつつ、大型車両が通るときには、通り過ぎるまで道脇で待つのを繰り返した。

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対向車のダンプカーから怒っているようなクラクションを鳴らされたとき、この土地から「早く立ち去れ」って言われたような気がした。

途中、監視カメラがあったので、軽く会釈をしてその下を通り過ぎた。

ほどなく、後ろからパトカーがやってきて、すぐ前に停車して、中からお巡りさんが二人降りてきた。

巡査「どうされました?道に迷われましたか?この先、歩くことはできないんですが」
僕「双葉駅まで行きたいんですけど、歩いていけますよね?(地図を見せて)一応、この先、ここにゲートがあって歩けないのは知っています」
巡査たち顔を見合わせて、
巡査「えー、一応、調べられているんですね。はい、双葉駅までなら歩いていけますが、この先ゲートがあるところから8km区間は歩けません」
巡査「どこから来ました?」
僕「今日は、浪江の方から来ました」
巡査「浪江の方(かた)ですか?」
僕「あっ、いえ、八戸から歩いているんです」
巡査「八戸の方(かた)ですか?」
僕「あっ、いえ、住んでいるのは東京で…」
巡査「これから、どちらへ?」
僕「今日は、双葉駅まで歩いたら、そのあと富岡駅まで電車に乗って、今晩はそこで宿を探そうかと」
巡査「そのあとは、どちらへ?」
僕「沿岸沿いに歩いて、福島と茨城の県境を越えて、北茨城の大津港駅まで」
巡査「念のため、身元確認ができるものを見せてください」
僕「運転免許証でいいですよね?」
運転免許証を受け取った巡査は本部との確認のためにパトカーに一旦、戻った。

その間、残った巡査と話をした。
僕「やっぱり、こんなところを歩いていたら、怪しいですよね?」
帰宅困難地域や避難区域では泥棒が多くて、パトカーや地元住民による見回りがあると聞いていた。
巡査「僕、関西出身なんですが、以前、悪いことしたやつが日本一周の旅人の振りをしていたことがありましてね、そいつを警官が質問したのに、身元チェックをしなかったためにそのときは気づかず、後で逮捕されたとき、『なんでそのときに身元確認しなかったんや!』ということになったんですよ。なので、念のため確認させていただいているんです」

身元確認が終わって免許証を返してもらったら、お巡りさんたちは、
「ここの道、歩道はないし、道も狭いし、工事車両も多くて、歩行者には危ないので、十分気をつけて歩いてくださいね」
と念を押された。そのあと、パトカーに乗って、双葉町市街の方へ去っていった。

一応、お巡りさんからも、双葉駅までは歩いても大丈夫だとお墨付きをもらって、一つ心配事が消えたものの、やはり「ここから早く立ち去れ」と土地から言われているような気がして、ドキドキは高まっていった。

【後日談】

このとき僕は、この年の春から指定された、歩行者も許可証なしで自由に通行できる立入規制緩和区域を歩いているつもりだった。

旅に出る前、一応、僕は、双葉町の道路交通規制、空間線量について、確認していた。

聖火リレーのコース予定地だった双葉駅周辺が、この年の春、立入規制緩和区域に指定されていた。

今回、通った浪江から双葉市街までの国道6号のルート上の空間放射線量は、双葉駅周辺と比べて変わらないレベルだった。

双葉駅周辺の空間放射線量の高さが、「安全」かどうかはわからないが、もう子どもを設けるつもりのない中年男性の僕が、年に一度、数時間歩行する分には、許容できるリスクと判断して、双葉駅まで歩くことにした。

だけど旅から帰って、改めて帰宅困難区域を確認したら、国道6号の浪江との町境から双葉駅周辺の立入規制緩和区域までの約1kmの区間は、帰宅困難地域だった。職質を受けたあたりは、まだ帰宅困難区域で建前上、歩行者の通行は禁止されているところだった。

帰宅困難区域の通行に関して、ゲートが設置されていない区間は、法律上は通行不可らしいが、地元の人は普通に通ることがあるらしい。今回の僕みたいに旅行者が歩いていても、パトカーは一応、空き巣狙いかどうか確認はするにしても、通行することは とやかく言わないそうだ。

双葉駅周辺よりも原発から離れた道の途中に、まだ帰宅困難区域があるとは思いもしなかった。それにしても、立入規制緩和区域を示した、経産省の地図 が わかりづらかった。

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黒い袋(フレコンバッグ)の集積場を初めて生で見る。

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帰宅困難地域のため、国道沿いからの横道はバリケードが張られている。おそらく10年近く続く赤信号。

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「ここは、双葉町 帰宅困難地域」の看板。

だけど、このあたりは、この春から立入規制緩和区域に指定された区域に、もう入っている。

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私有地の敷地内入り口をふさぐように並べて駐車された車。もう何年も前から放置されているようで、錆びてボロボロ。

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【駅まで13分】
市街地に入る直前、国道から眺めたフレコンバッグの集積場

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【駅まで12分】
市街地に入ったところにある、国道沿いのコンビニ跡。
駐車場は草ぼうぼう、窓は全部板でふさがれている。

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【駅まで9分】
国道沿いの家。窓ガラスが割られていた。

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【駅まで5分】
双葉駅への標識。ここから国道から折れて、駅へと続く道に入る。

この手前には、ガソリンスタンドがあって、店員が何人か働いている様子で、普通に営業していた。

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【駅まで4分】
駅へと続く道に入ったところの橋から見た風景。
橋の向こうの崩れた家を見える。
(望遠で拡大したものは、次の写真)

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遠くに眺めた、崩れたままの家。

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【駅まで3分】
駅へと続く道の橋を渡ったところにあった看板。

白い防護服に身を包んだ男が「破滅」というカードを掲げた写真の上に、次のような詩が書かれていた:

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『新たな未来へ』

双葉の悲しい青空よ

かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた

少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破滅」に

ああ、原発事故さえなければ

時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ

震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい

いつか子供と見上げる双葉の青空よ

その空は明るい青空に

震災3年 大沼勇治
ーーーー

【後日談】

旅から帰ってこの詩について調べたら、以下の記事を見つけた。

記事によれば、この詩の作者、大沼勇治さんは、小学生のとき「原子力 明るい 未来の エネルギー」という標語の発案者で、その標語が原発PR看板に採用されたそうだ。その原発PR看板はこの場所に設置されていたが、震災後、看板の保存を希望する住民の意に反して、行政によって撤去されたそうだ。

テレビも新聞もニュースも見ない僕は、作者のことを全く知らなかったが、それでも無人の商店街の片隅にこんな看板が設置されていることにとても驚いたが、この記事を読んで、作者のことを知り、改めて衝撃を受けた。

小学校の課題で無邪気に書いた言葉のために、後の人生、こんな重い十字架を背負うことになるとは、運命の重さみたいなものを感じ、この新しい小さい看板が設置された必然性を理解した。

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【駅まで3分】
国道から駅へと続く道沿いの、放置された公衆トイレ

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【駅まで2分】
崩れたまま放置された家。

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【駅まで1分】
これまでの津波の被災地では普通に見かけた更地だが、ここに来て初めて見た。

イチョウの若木の並木は整えられている。

ここは、2020年に予定されていた聖火リレーコースの会場。

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【駅まで0分】
とてもきれいでモダンな双葉駅舎

このとき、14:23。駅では、上り電車の到着を知らせるメロディが流れ出していた。

のんびり写真を撮りながら歩いていたし、ここまで何度も大型車両が通り過ぎるまで道脇で立ち止まったり、職質を受けて足止めを喰らったりと、到底、14:24発の電車に乗るのは無理だと思っていた。

このタイミングに駅に着いたというのは、「ここから早く立ち去れ」というメッセージと理解して、あとは何も考えずに、階段を駆け上り、プラットフォームまでダッシュした。

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電車の車窓ごしから見えた、プラットフォームの先にならんだ黒いフレコンバッグ

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駅を出てからも、フレコンバッグの黒い列が続いていた。

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富岡駅で下車。常磐線の電車を見送る。
八戸から歩き旅で唯一電車に乗った区間。

この常磐線が全線再開したのは、この春の3/14。

それは、今年予定されていた東京オリンピックの聖火リレーに間に合わせるため。

今年、オリンピックはなくなったけど、常磐線が再開したおかげで、今年、歩き旅ができた。

旅から帰って、確認したら、常磐線の駅と線路上だけ、避難指示解除区域になっていた。

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富岡駅のプラットフォームから眺めた更地と防潮堤。これは津波被災地によく見る風景。

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富岡駅改札にある放射線モニタリング表示計。
福島に入ってから、いろいろなところでよく見かけた。

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富岡駅から国道6号に合流したところに、また例の看板を見かけた。

富岡に入ってからも、「ここから早く立ち去れ」と言われているような感じが続いていて、その日、結局、富岡には泊まらずに、先に進むことにした。

その日、ドキドキがようやく収まったのは、富岡町を超えて楢葉町に入ったときだった。

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「ここから早く立ち去れ」のニュアンス

話の中で何度か出てくる「ここから早く立ち去れ」と言われている感じについて、人によっては、僕が自分の身の危険を無意識のうちに感じていた、と解釈する人もいるかもしれない。

ただ、放射線リスクについては、前述のとおり、覚悟の上で訪れていた僕は、自分の身のためというより、この土地から拒まれたという感じがした。

この印象を例えると、こうだ:

友人が入院したと聞いて、だいぶ経ってから入院先の病院にお見舞いに行くとする。

病室を訪ねて、「お見舞いに来るの、だいぶ遅くなってごめんね」なんて言って、こちらが少し決まりの悪そうに詫びながら挨拶すると、

入院中の友人は、もうすぐ退院間近で元気になっているかもしれないし、まだ弱っているかもしれないが、いずれにしても見舞客を見ると「おやまぁ、よく来てくれた。遅くなったなんて そんなの気にしないで。会いに来てくれただけで嬉しい」なんて嬉しそうに迎えてくれて、自分にベッド横の椅子を勧めては、「いろいろ大変だったのよ」とこれまでの苦労話を話してくれる。

双葉町までは、僕が震災の被災地を歩いてきて感じていたのは、そのように土地に迎えられる感じだった。

一方、双葉町に入って感じたのは、同じようにだいぶ経ってから病院にお見舞いに行って、病室を訪れたら、実は、今も重篤な状態で、面会謝絶だった。「ここから早く出て行きなさい!」とすごい剣幕で看護師さんに怒られて、病院から追い出された……、例えるとこんな感じだ。

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